2016年8月26日 (金)

原理主義というか最初の刷り込み主義

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 最初に時計にのめりこんだ時期に遭遇した時計というのは、記憶の中で本当に色あせることがない。私にとってのそれは一連の90年代に出たレベルソであり、ロイヤルオークジャンボであり、レインボーフライバックである。例えばレインボーフライバックなどは今見ると(というか当時から)ケースはダルダルで当時のロレなどと比べるとそれは酷いものだった。当時のゼニスのマンフレディーニ社長がデイトナを指して「このレベルのケースを作れ」と怒鳴ったとかなんとか、そんな話も聞くほどだった。そうかといっても未だにレインボーフライバックの魅力は少しも衰えない。

 またジャンボに最初に出会ったのは、百貨店の顧客向け食事会だった。15202ジャンボの白文字盤、「これがまだ生産されているのは奇跡的だけどものすごく数が少ない。いつ生産が途切れるかわからないので確実に欲しいなら手付を打っておいたほうが良いですよ」との百貨店の店員の説明をよく覚えている。当時はこちらもそう思っていたし、新品で手に入るのはもうそう長くないなと感じていた。その当時で、確か120程度の価格だったと記憶しており、当時簡単に手が出る代物ではなかったが、漠然としたあこがれだけは強く残ったものだ。

 当時の時計たちはまさにあばたもえくぼ(ジャンボはほぼ完璧だが)、いまだにそう思えるというのはもはや刷り込み主義とも言えるようなものか。
 やがてつまみ食い的ながら知識も多少増えてくると、新作についてはそれなりに良いところ、悪いところが見えてくる。しかし最初に刷り込まれた時計については、何故かその評価軸に乗ってこない。もうダメなところも偏愛対象になるのである。

 それ以降、新作で購入に至った時計は実は本当にわずかであり、結局コレクションはどんどん古いものへ偏ってしまう。ダメなところが許せなくなれば、ダメポイントの少ないオリジナルとかビンテージに偏ることになり、かくして原理主義的になってしまうところが、つきつめたオタクの悪いところだろう。これは自分のことを言っている。気楽に楽しむことが出来なくなってしまっているのだ。
そして最近、時計趣味が一周したと感じたのは、また再び気楽に楽しむということをSeikoの時計を通じて感じることができたためであり、かくして二週目に突入(かコースアウトか?)するのである。

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2016年8月20日 (土)

一周したという感覚

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 言葉に表しにくいのであるが、最近の私には時計趣味が一周したという感覚がある。それには腕に最近お気に入りのSeiko 3rd Diver’s MODをしていて、はたと気が付いた。この時計は針・文字盤・風防・バンドを交換した結果、ケースバック以外にはどこもSeikoなどメーカー名と思しき文字がなく、着用している状態ではメーカー不詳なのである。(ケース形状など見る人が見ればもちろん判明するが)。

 すなわちこの時計は、メーカー名を誇示することが出来ない、すなわち自分以外の第三者に対して、その外見以外はアピールすることができないのである。これこそが典型的な自己満足の世界であり、自分と時計との関係において、自分以外の第三者が意識に介入してくることが皆無、ということである。

 逆説的にこの事実により、それなりのメーカーの時計を腕にしているときには、第三者の目にどう映るかということを、ごくわずかでも意識していたのかもしれない、と気づかされた。そうこのSeiko MODは、”第三者の意識”というファクターが皆無なのだ。銘のある時計との最大の違いはそこである。

 しつこいが繰り返すと、この時計の存在により、これまで銘のある時計を着用していた際には、わずかながらも第三者の意識が存在していたということに気づかされた。ただし世間的にほぼ無名なHentschelやBenzingerなどですでに経験していたはずであるが、本当に銘が無いということでそれが明確に感じられるようになった。

 趣味とは、そもそもそういうものではなかったか。他人にどう見られようと関係なく楽しめるのが趣味なのではないか。このような考えに至ったことが、一周したという感覚を得られた要因だと思っている。
アンダーステートメントの美徳というやつ、だな。

 例によってこの世界では、一周したらロレのエアキンかデイデイトみたいな風潮もある。そしてそれは正しいと思うし認めてもいる。「エアキンやデイデイト」は”一周時計”の具体的な提示という意味では非常にわかり易いしティピカルと思える。しかし、そればかりでもない、と思うわけで。

 なお一周したからといってアガリになるかというとそういうことでもない。二周目、三周目に突入しても構わない。いやひょっとするとここからの世界こそが、本当の趣味の世界かもしれないのである。

PS. 実際に三周目くらいに突入している人は数多く存在する・・・N○○Sさんとか(伏字になってないw)

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2016年8月15日 (月)

Marine Master Professional SBBN025 “Darth Tuna”の水中インプレ

この夏も石垣島に行った。いきつけのサービスでSBBN025とともに6本のダイビングを楽しんだ。以下インプレである。
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潜水用の時計は多くの場合ウェットの上から着用することになる。ウェットを着るときに(袖を通す時に)時計やダイコンをどうしているのかは人によってスタイルが違うと思うが、ストラップ端を噛んで保持した状態で袖を通す人というのは一定数いると思う。私はこのスタイルで、ウェットを脱ぐときも同様である。

石垣島のダイビングはほとんどがボートダイブとなる。お世話になっているサービスの船はダイビングボートとしては平均的な大きさであり、エントリーは基本的にバックロールだ。

さてウェイトつけてバルブ開けて機材を背負って船べりに座る。そしてエントリー。カメラを貰ってとりあえずインフレーターからエア抜いて静かに潜行。2~3mで一回耳抜きしてさらに沈んでそのまま着底。私は意外とダイバー体質で、最初の耳抜きは意識して実施するものの、それ以降はほとんど顎を動かす程度でポコポコと耳が抜けるのだ。サイナスの不安も無い。
さて着底した時点でツナの写真を撮った後にベゼルを回す。地上で回すよりもなぜか軽く回るような気がするのはサブと同様、このツナもだった。

海中で見るツナはとにかく黒一色であり、針とインデックス類だけが白いため視認性は当然ながらきわめて良い。水中では視野も動きもとかく制限され、少しのことがストレスになるので、見やすくてわかりやすいというのは単純に良いことだ。まずこの当たり前のことが明確にクリアされていることが、ダイバーウォッチとして成立する大前提である。その点、歴史あるセイコーの外胴ダイバーは完璧だ。

視認性において、重要なのは分針である。すなわちボトムタイムが何分か、ということがすぐにわかることが重要だ。オメガのプロプロフの分針のデザインなどはその顕著な例であろう(赤い色は水中ですぐにつぶれてしまうけれども)。一方このマリンマスターシリーズは、セイコーダイバー50周年の機会に、従来のセイコースタイルを大きく変えて、アワーが矢印、ミニッツがバトン(というかペンシル)に変化した。この変化はこれまでもいろいろ言われており好みの部分が大きいが、視認性という観点からは時針分針を全く迷うことも無く、非常に見やすいということが結論である。

また夜光も水中では重要であるが、穴の中のような暗い場面ではかなり強烈な光を発しており、この点でも必要充分であった。機能という点で防水性については、潜ったのがたかだか十数メートルなので完璧であることは当然である。

さて新しいシリコンバンドはどうだったか。これは従来のウレタン製よりも柔らかくて肌への当たりもやさしく、蛇腹状の形状が非常によく機能する。この「機能する」という意味を少し書くと、水中ではウェットも人間の体も水圧で痩せ気味になり、地上でちょうど良いバンドの穴位置が、水中では多くの場合ユルユルになる。しかしセイコーのバンドの蛇腹形状はこのクッションとしての機能があり、シリコン化によってさらに柔軟になったことで、より機能しやすくなったと感じている。すなわち地上でややきつめに巻いてもバンドが柔らかいので痛くならず、水中ではユルユルにならずに腕で回ってしまうことがない、ということだ。ウレタンバンドのダイコンなどが水中で回ってしまうことをダイバ ー諸氏は何度も経験しているだろう。使ってみればこの差は明確にわかると思われる。

以下は非常に感覚的ことを書く。ダイビングの機材は総じて”大味”である。精密機器の「時計」という範疇で言えばツナはおそろしくガサツな感じ(というか道具感)を受けるが、水中では、あるいはダイビングという行為をするなかでは、他のダイビングの機材に比べてそれはやはり”精密機器”であった。そしてそれはプロの道具としての存在感、ひいては安心感に繋がるものである。

セイコーが50年熟成させたダイバーズウォッチは、本来の仕事場で本領を発揮する。まさしく本物のプロの道具と言えよう。その実力は到底ファンダイブ程度でその真価がわかるようなものではないが、その一端は感じることができ、より一層この時計が好きになった。

今後海に潜るときは必ず、この時計を左腕にすることになるだろう。

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上の写真はモザイクウミウシ Halgerda tessellata

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2016年8月 2日 (火)

Seiko Diver’sの奥深さ

最近SeikoのDiver’sがお気に入りだ。

Seiko Diver’sの楽しみ方は千差万別である。歴史もあるし他のメーカーに無い明確な特徴を備えたモデルが多数あるので、Vintageを集めても楽しいしTunaやMM(マリマス)など特定の銘柄に拘ってもいい。

ここで特に書きたいのは、”MOD”と言われるモデファイである。
自分でモデファイするという行為が、特にセイコーダイバーの楽しみ方では顕著である。人と同じ時計ではつまらない、自分のセンスでカッコよくしたい、 これが手軽に味わえるのだ。これがスイスやドイツ製では簡単にはいかない。突然ハードルが上がってハンドメイドのオーダーウォッチとなり、相当の元手がかかるのが常だからだ。

MODが盛んな理由の一つが、昔からセイコーのダイバーズはダイヤルの直径が28.5mmと一定なことである。すなわち様々なセイコーの時計でダイヤルが使いまわしがきくのだ。(実際には竜頭が4時位置のものと3時位置のものは互換性がないが、留意が必要な条件はほぼそれだけである。)

これはもうひとつ重大な恩恵がある。ダイヤルの直径が一定であるということは、針も変なバランスにならずに使いまわしがきくということだ。よって、 サードパーティー製のダイヤル・針、さらには風防・ベゼルインサート、チャプターリングなどが多数流通しているのである。このなかで機種依存するのは強い て言えばチャプターリングくらいだろうか。もちろんバンドも様々なブレス、NATOバンドや革バンドなど選択肢は非常に多い。 

更にこれらのマニアが運営するサードパーティーでは、新しいパーツの製品化にも貪欲である。例を挙げると今年復刻したサードダイバーのパーツなども、既に市場に出はじめている。

膨大なサードパーティー製のパーツは、基本的にこの筋のマニアたちが作っているので、好きものが見ればニヤッとするようなモノがわんさとある。ダイバーズといえば、やはりロレサブにイカサブ(ミルサブ)、プロプロフ、シーマス300、フィフティファゾムス、その他ミルスペックのベンラスとか・・・様々な名作のイメージがわいてくると思うが、それ風のパーツがとにかく沢山あるのである。

個人のイメージを具現化するために、どのセイコーをベースにして何を組み合わせるかを考え、パーツを揃えて実行する。自分でやってしまう人たちも多い。有名かつよくできていると思うのは、SNZH51などのSeiko5ベースの”フィフティファイブファゾムス”だろう。人を食ったネーミングセンスといい、最高である。
また通称ボーイといわれているSKX007/009は、リーズナブルでありながら名作中の名作であり、セイコーダイバーはボーイに始まりボーイに終わるとすら言われている。これのMODは本当に数が多く、作り手(ここでいっているのはMODした人)の趣味やセンスがもろに出る。その手の時計がどれほど好きなのかがMODで分かってしまう。実に奥が深いのである。
ここら辺を楽しむ人たちは、重度の時計マニアであろうが、それほどのバジェットを持っていなくても十分に楽しめるところがミソだ。繰り返すがスイス製 (あるいはドイツ製)時計をコレクションし、楽しむためには、ある程度の資金が必要である。一方それに比べてだいぶ敷居が低いのがSeiko Diver’sの世界だ。しかしカッコいいMODを行うためには、知識やセンスが重要だ。ここが趣味として極めてうまく成立する大きな要因だと思う。だからこそ楽しいのだ。

さてSeikoをはじめとしたDiver’sのマニアたちは、いったいどこに生息しているのであろうか。Forumではまず第一にWatchuseekであろう。膨大な情報があるのでここをつぶさに見ればあっという間に耳年増である。あとはレビューサイトとしてWorn&Woundなどがあり、ここではツボに入る商品も売っている。
<ポータル>
Watchuseek
http://www.watchuseek.com/
Watchuseek Seiko & Citizen Forum
http://forums.watchuseek.com/f21/
Worn & Wound
http://wornandwound.com/

<パーツサプライヤー>
Yobokies
http://s161.photobucket.com/user/yobokies/library/
DAGAZ WATCH Ltd.
www.dagazwatch.com
DLW
www.dlwwatches.com

<バンド・ブレス系>
Strapcode
www.strapcode.com
Taikonaut
http://taikonaut-watch-band.myshopify.com/
Bonetto Cinturini
http://www.bonettocinturini.it/en/

<サファイヤドーム風防など>
Crystaltimes
https://crystaltimes.net/

<Seiko Diver’sの復刻Watchmaker>
TIMEFACTORS
http://www.timefactors.com/
Athaya Vintage Watch
http://www.athayavintage.com/

<MOD時計のセラー>
mrvintagewatch
http://m.ebay.com/sch/i.html?sid=mrvintagewatch&_pgn=1&isRefine=true
DAGAZ WATCH Ltd.
www.dagazwatch.com

などが定番と思われるが、それ以外にもたくさんあるだろう。これらの情報は、上記のForumに大体集まっているし、知識とセンス、知恵と工夫でいかようにも楽しめるのだ。

なおセイコーダイバーズはその多くが海外輸出モデルであり、そのほとんどに日本的なニックネームがついている。
思いつくものをあげよう。
SKX007: BOY
SKX009:BOY(Pepsi)
SKX779: Black Monster
SKX781: Orange Monster
SKZ203: Yellow Monster
SKZ213: Blue Monster
SKZ247: Franken
SKXA49: Night
SNZF17: Uni
SNM011: Samurai
SNM009:White
SBDX001: MM
6217: 62Mas
6306,6309: Turtle
SRP775/777/779etc: Turtle
SBDC001: Sumo
SBDC007: Shogun
SRP043: Spoke
SBBN007: Pack (or Tune-Can)
SBBN011/013/025: Darth Vader Tuna or Darth Tuna
SBBN017/033: Tuna Can or Little Tuna
SBDX011: Emperor Tuna
SBBN035: Ninja Tuna
SBDB001: The Papa-san
などなど・・・
これは全く足りないと思うので、だれか補完した完全版を作ってください(丸投げかよ)。
とここまで書いて、すでにツイッターには投下した、私のMODを貼ることにする。
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ベースはSRP777(復刻Turtle)、針と文字盤はYobokies、風防はCristaltimesのサファイヤドーム(Blue-AR Coated)である。チャプターリングは元のままで若干ミニッツインデックスがうるさいが、イメージ通りで満足している。なおブレスはStrapcodeのシャークメッシュを注文中。

とりあえずDarth TUNAとこのTurtle-MODでこの夏は十分だ。Darth TUNAは海中に持っていくつもりなので、ダイビングのインプレは気が向いたらまた別途書くかもしれない。

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2016年7月31日 (日)

パテックという時計

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 Patek Philippeという時計には、何か特別な感情がある。時計Geekとして拘りぬいた、いわゆる雲上時計をたとえ所有したにせよ、それがVCやAPである場合、やはりパテックを意識せざるを得ないのである。この感情は非常に複雑だ。

 回り道したくないのなら、最初からパテックを入手すべきであろう。そうすれば複雑な感情に惑わされることもない。直前のエントリで書いたように、時計歴がそれなりにあるつもりでもパテックを所有していない(所有したことがない)というのは、ある種の負い目であり、ルサンチマンになり得るのである。

 APとVCに関しては、もうオリジナルROジャンボもVZも手巻きクロノメーターロワイヤルも経験しているので、これ以上の時計は(ROのQPくらいしか)思いつかない。もう満足しているのである。個人的趣味の真ん中であるJLCにしてもそうだ。事実上、数本のレベルソとGeophysic、Geomaticで完結しているのである。最後やはりパテックだ。
(私の場合、そのあとに国産という更なる深淵を覗いてしまうことになるが、それもすべて縁である。)

 これまでパテックを所有してこなかったのは、縁がなかったというのが最大の理由かもしれないが、私の天邪鬼な性格もその一助となっているに違いない。それが”耳年増効果”に起因することも理解している。またバジェット面でのタイミングというのもある。あらゆる因子が、これまでパテックの所有を遠ざけていたのだ。

 パテックという時計の存在を知ったのはもう20年前くらいであろうが、パテックに気持ちが行くようになってきたのは、実はここ1~2年である。タイミング的にはROジャンボの後だろう。やはりここで、”JLCを巡る旅”は一区切りついていたのだ。
 今この文章を書いて改めて気が付いたことがある。私はこれまで長きにわたって”JLCを巡る旅”を続けてきたのだと。そしてこの旅は、920入りの最高の時計をもって、自分の中にある山の高みに登頂したのかもしれないと。
 
 そこからの視界はどうだったのか。高みに来るための登山道のうち、王道を上ってこなかったのではなかったか。あるいは他にも山が存在するのではないか。
 自分の中の気持ちが整理されてきた。いまこそパテックを見てみるべき時ではないか。

 さて一言でパテックというが、ブツはピンキリである。ただしグラコンなどははなから手が出ない。ここで最もパテックらしい時計とはなにか?を定義することにトライしたのだが、どうにも捉えどころがない。そんなことよりも、とにかくピンとくるブツに出会えるかどうか、これが全てだと思った。まさしく縁なのだ。

 そしてこの1~2年の間、機会さえあればパテックの現物を見ることに勤しんだ。そうすることによって、これまでわからなかったことが確かに見えてくるようになった。しかし結果として”耳年増効果”だけが増してくる。アーカイブの見方や、いわゆる文字盤の”洗い”などを含めた状態とか、ケースの状態だとか。

 Vintage Watch全般で非常に大切なことは、いかにオリジナルに近いか、人の手が入っていないか、醜い経年劣化がないか(良い経年"変化"はあり)、ということに尽きる。そうしてみると、所有したい欲求は強くあるものの、どんどん購入するという踏ん切りがつかなくなってくる。時計は一期一会だ。特にVintageは完全にそうだ。

 はなしがVintageにのみフォーカスしているが、別に現行のパテックの時計が嫌いなわけではない。しかし価格と品質が見合っていないと感じるし、上から目線の今の売り方が何よりも嫌いである。

 3923とか3796で手を打つことも考えられるが、それでは全く面白くないし時計も小さ過ぎる。ただ単にパテックというだけである。だったらジャンボエリプスなどのほうがよっぽど面白い。
 そうなると必然的に35mm前後のケースを持つ時計がターゲットとなる。28-255はもういいかな的な感覚もあり、それより前の年代のパテックが良いだろう。対象となり得るリファレンスは多いが、"完全に信用できる怪しい人"経由で縁あって、結果的にほぼ未使用の3429が手元にやってくることになった。このような程度を保持したものは、この数年で目にしたことはまず無かった(思い出すのは10年以上前に見たNOSのSSの96くらい・・・手巻きするとキンキンと響くあれも凄かった)し、これからも目にする機会は限られてくるだろう。だからこそこの時計に価値がある。

 この時計の機械をプロ中のプロに解説してもらった。そしてパテックの物凄さを、言葉にならない感嘆とともに受け止めることになった。残念ながらそれはビジュアルというか動画などでしか説明しようがなく、文章化することはできない。
オートマのpp竜頭にも二種類があるとか、その他の興味深い話も沢山聞けた。詳細を書くと相場に影響を与えかねないので、申し訳ないがここで公開はしない。

 入手に至った道筋も、そのあとプロの話を聞けたことなども全てタイミング等々が絶妙だし、また前オーナー様とも別方面で話が合うなど色々な面で自然な流れを感じることが出来た。繰り返すが時計は縁である。無理にはいかない。人脈を広げ、気持ちを強く持ちつつ流れに身をまかせるのだ。貴方にふさわしければ、それは近づいてくる。(この3429が私にふさわしいとは、まだとても思えないけれども)

 Geophysicなどもそうだが、これらはもう二度と生産できない人類の文化遺産的なものであるからして、状態を極力維持していく責任が所有者には求められる。自分のカネで買ったから何をしてもいい、そういう世界ではないのである。単なる投機対象でもない。それがパテックという時計である。

 このようにして、いっとき私に所有が許されたこのパテック、次代に引き継ぐため役割と責任を果たしていきたいと強く思っている。

PS1.なお山が富士山とすれば、国産時計は樹海である。そこは方位磁石も役に立たない、という。(ただし私の場合は強力な道先案内人が存在するのだ。)

PS2.結構な数のパテックを見続けたので、副次的効果としてVCやAPの昔の時計についてもより理解を深めることができるようになってきた。特に文字盤がオリジナルか人の手が入っているか、など。

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2016年7月30日 (土)

Editorial – “耳年増”の評価

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最近感じたことをつらつらと。何を言いたいのかわからない文章になると思うのでそのつもりで。

世間に生息する耳年増の時計Geek達、その典型が私である。
そして、世間一般のなんとなくコンセンサスを得ているような感じの、それぞれの時計に対する評価というものがある。この評価というものは、時計に関してある程度以上詳しそうな、あらゆる人たちがこれまで発信してきた内容をごちゃ混ぜにしたようなものだ。あらゆる人とは、WebsiteやBlogを書いている人、雑誌に寄稿している人、あるいは2chの時計板やFB,Twitterなどでいろいろ書いている人などを指す。ある時計に対する評判とは、例えばパテックの最高の三針はトロピカルのえくぼダイヤルだとか、APのVZはデュフォーさんがシンプリの機械の参考にしてるから凄いだとか、そういう評価である。
そしてそれは時計の中古価格にももちろん影響を与え、中古価格をコントロールしたいような人たちもその”評価すること”に参戦する。

純粋にその好きな時計を語りたいという思いから、発信をし始める人がいる。その時計の良さを語れば、多少の自慢も入るだろう。
そしてまだ時計を購入する前なら、往々にして世間的な評価というものは気になるもので、事前にいろいろ調べたりもするだろう。
一方で全く調べずに、ただ好きだから買う、という人もなかにはいるだろう。調べるのが面倒くさいからかもしれないが、それはひとつの理想ではある。
しかしろくに調べもせずに”ただ好きだから買う”ことは、購入原資に限りがある小市民にはなかなかできることではない。だからこの”よくわからない世間的になんとなくコンセンサスを得ているような感じの評価”を気にするし、web上で調べ始めると、それらをあちこちで目にするようになる。
このファジーな評価とは、いったい何なのだ。ここで考慮したほうが良いことは、好き嫌い、良い悪いを発信する者の多くは、時計を弄ることについてはほぼ素人であるということだ。もちろん私も含めて。

では玄人とはなんだろう。
それは、ここでは業界の中に身を置き、しかも”セールスではなく”、時計の設計や組み立て、修理あるいはオーバーホールをするような技術者たちを指すとしよう。
彼らは、一般的にほとんど発信をしない。むしろ販売店の後ろにおり、完全に隠れている。中古時計販売店はほぼ例外なく、実際に修理をお願いしている時計師や時計修理店の正体を隠す。例外的に表に現れている時計師は、メーカーの中にいる人か、独立して時計修理を生業としている人たちである。
そして彼らは商売柄、好き嫌いや良い悪いを殆どオープンにしない。メーカー社員は自社製品の良さを語るが、独立している時計(修理)師は、彼らの感想をオープンにしたら、客足が遠のくのが一般的であるため、多くを語らないのだ。

そしてこの趣味をある程度やってきて改めて気が付いたことは、私のような耳年増の素人は、特に機械のことなど何もわかっていない、ということだ。外装の良い悪い、好き嫌いは雄弁に語るけど。

世間一般で素晴らしいとされている時計や機械は間違いなくある。が、それは往々にして時計師の評価ではない。そして時計師の評価と耳年増の評価が一致している数少ない例も存在する。一例をあげると、それはPPの27-460である。この機械は本当に凄いことが良く分かった。あの自動巻きの機構だけでももはや悶絶である。一方でその前の機械はどうだろうか。みんな、見応えのあるギョーシェが施されたローターに目を奪われてしまっているようだ。それ以上はここでは書かないことにしておく。ただし、TZのWalt Odetsの記事で十分に伝わる筈だ。
機械の設計者の意図をくみ取るには設計図を見ることも重要であるが、分解して組み立ててみることでそれは十二分なのだろう。そして分解・組立が出来るような人は、たいがいそれを生業としている。繰り返すが彼らは彼らの感想や評価を、ほとんどオープンには語らないのである。

時計師が絶賛する機械が至高である、と手放しで言うつもりはないが、自戒を込めて、この世界は耳年増の素人の評価ばかりが目に付くので、あえて書いてみた。

これ以上は単なる好き嫌い評価サイコー論に堂々巡りするのでここらへんで。

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2016年7月19日 (火)

Zeitwinkel 082° エナメル ”グラン・フー”

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Zeitwinkelの国内正規修理担当のZenmaiworksさんによる、伊勢丹でのデモに参加してきた。そこで見たのがタイトルの時計であり、大いに感銘を受けたのでこのエントリを書いている。

ポイントは以下の4点。
(1)アラビックフォントを持つホンモノのグラン・フーエナメル文字盤とそのデザイン
(2)分厚い青針、カウンターウェイトの無いセンターセコンドと、針飛びを抑えるための機械の独自機構
(3)強烈に手間の掛かった仕上げが施された機械
(4)これらをトータルで実現しようとしたF氏のセンス

乱暴に言えば(4)にすべて帰着してしまうのだが、それでは文章化する意味のないものになってしまうので、特に上の3点について書いてみたい。

(1)青文字のアラビックフォント、これはまず一目でこの時計の特徴だと誰が見てもわかる。時計の歴史的に古来のフォントではなく、このメーカー独自のもの。ユルい感じが独特であり、好き嫌いは分かれるかもしれないが、機構や機械は深刻な時計であるにもかかわらず、そうは見せない表情を持つ。このバランスが良い。

(2)針は非常に厚く、立体的であるにもかかわらず、正面から見るとかなり繊細である。そして色は文字盤上の各種レターやロゴと統一されている。そしてなによりカウンターウェイトの無いセコンドハンド、これに尽きる。このような形状の針を回す場合、特に針飛びがあれば全く幻滅である。ある種の抵抗を与えることで針飛びを抑えることは大抵のメーカーが実施しているが、特にカウンターウェイトが無いこのような秒針への対応は深刻である。これを実現させるための独自機構が、二重になった歯車であるがこれがどのように作用するかは言葉にし辛い。一般的には部品間の摩擦を生じさせて針飛びを抑えるわけだが、それは回転運動を伝えるうえでのロスになると ともに、定期的な部品交換が必要となるものであるところ、Zeitwinkelでは第二の歯車を同軸に通し、そこで回転抵抗を与えるという方法で解決している。そしてこの機構とセットではじめて”スッキリとした秒針”が実現し、エナメル干支と三本の青針によってこの清潔感・清涼感のあるデザインが成り立つのである。デザインと機能・機構が一体となっているのだ。
デザインのこだわりは随所で見られるが、特に分厚い針同士と文字盤が密着しており、この精緻なたてつけは見事である。わずかにドーム形状の風防内面とダイヤルとの間隙はわずかであり、ここにぎっしりと針が収まる。高級時計の文法通りだ。

(3)機械のそれぞれのパーツは、強烈に仕上げてある。もう10年ほど前から某L1ですら、地板の香箱の入る部分はペルラージュがない。Zeitwinkelの082°は、強烈に細かいペルラージュが病的なまでに施されている。地板やブリッジばかりでなく、部品や部位によって鏡面や筋目模様など仕上げは異なり、およそすべての目につくところがいちいち手で仕上げてある。ここまで手間の掛かった機械が入った新品の時計は、今やこの値段ではほとんど手に入らない。

(4)すべてを承知で、これらを意図してプロデュースしたのがF氏だと聞いた。時計のあらゆる部分に精通したうえで、全体的な統括をしないとこの製品は生まれ得なかった。

それがすべてである。
多少興味がわいた人には、ぜひ一度手に取ってみることをお勧めする。

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2016年6月28日 (火)

自動巻きレベルソについて

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レベルソは去年と今年、大々的にモデルチェンジが敢行された。ケースサイズが整理され、同時に小さいケースがクオーツムーブメント、中程度より大きなケースが自動巻きの機械となったことが従来との大きな違いだ。これまでは手巻き系が主体で、その中心的な機械は、筆舌に尽くしがたい(と勝手に筆者は思っている)名機822系であった。
それが自動巻きの960系の機械にリプレースされることになった。

今回敢行されたレベルソのラインの整理は、はじめに「毎日巻かなくていいようにすること」すなわちクオーツか自動巻きありきだと思っている。すでに定番化している「手巻きの」レベルソをなぜ自動巻きにしたかったのか?これについて私の想像はロジックを欠く。ロレのような定番化を目指した、というくらいしか理由が思いつかない。時計の進化は確かに手巻きから自動巻きへ、なのだけどなぜレベルソをその方向性に乗せたがるのか理解不能である。しかしとにかくJLCの首脳陣はそう考え、意思決定をした。

新ラインアップを見るとJLCは、101を除けば最小サイズの手巻きの名機Cal.846をレベルソに納めることはないと割り切っているようであるから、小さいサイズはすべてクオーツになる。それよりも一回り大きいサイズからが自動巻きとなり。これは960系を使うことしか考えられない。なぜなら、これが今現在JLCが生産可能な最小の自動巻きの機械であるからだ。
Cal.960は1995年にMaster Ladyに搭載されるために開発された機械で、直径21mm、厚さは3.95mm(ほとんど4mm)である。
ここでこの機械を入れるためのサイズの検討が始まり、従来のクラシックサイズでは幅が足りずにやや大きくした「ミディアム」になったと想像する。しかし狙っていた「ミディアム」は、文法に則れば従来の「クラシック」よりもやや大きくなりすぎてしまう。JLCはここで大胆な手法に出た。それは、なんと黄金律を崩してしまうことであった。縦を切り詰めてなんとか従来の「クラシック」に近い大きさに仕上げた結果が、第一作の「レベルソ・クラシック・ミディアム・デュエット」であった。
実物のプロポーションは、長辺が短くなるとともに自動巻きの機械を搭載したことでケースが厚くなり、なんかずんぐりした時計になってしまっている。ただ程度としては、それ単体ではおそらく認識することは少なく、従来のクラシックやビッグなどの手巻き時計を横においてみるとハタと気が付く程度だ。
とりあえずこの時計に関しては、その流れを無視すれば良くできた時計である。レベルソはこうあるべし、などとゴタクを並べているような筆者のような老害Geekの戯言を無視すれば、これはとても良くできた時計である。作りも仕上げも各パーツも立てつけもデザインも素晴らしい。そして何よりも重要な観点は、JLCが売っていく相手は老害Geekがメインではない、ということだろう。JLCがターゲットにしているのは、これからの時計好き(マニアでもGeekでもない)なのである。
 そして老害Geekとしては、今回の判断が英断だったとなるかどうか、非常な興味をもっている。
(でも過去にボロカスにけなしたスクアドラは大失敗したよな・・・イデアルもそう)

PS. この一連の新作群に関する明確な特徴がもう一つある。それはケースバックおよびラグの形状だ。グランド・レベルソ・ウルトラスリム・トリビュート系はまだ真っ直ぐであるが、グランド・レベルソ・レディ・ウルトラスリム・デュエット・デュオ(もう名称が訳わからん)あたりからラグ部分を下げることにトライしはじめている。そして昨年の自動巻き第一作のレベルソ・クラシック・ミディアム・デュエットではかなり明確にラグを下げており、ケースバックも真っ直ぐではなくラグに滑らかにつながるように加工している。今年のレベルソ・ワンもそうだ(この時計は実に素晴らしかった・・・私が女性なら一目ぼれレベル)。このケースバック及びラグの形状は1930年代のレベルソの形に非常に近く、そもそも手首への座りがいまいちであった90年代復活後の歴代レベルソのウィークポイントを、何とかしたいと思ってトライしていることだと思う。この方向性は歓迎されるべきものだろう。この点もしっかりとかかなければフェアじゃない。

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2016年6月21日 (火)

Seiko Prospex Marine Master 1000m SBBN025 "Darth Tuna"

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Seiko Prospex Marine Master 1000m SBBN025 “Darth Tuna”

20年ぶりくらいにクオーツの時計を買った。いわゆるTunaである。
昨年度セイコーのダイバーは50周年を迎え、限定品が多数出るとともにほぼすべてのラインがリニューアルした。SBBN013が従来のクオーツ1000mであったが、それが本モデルに置き換わったわけである。

セイコーのダイバーは初めて手にしたわけではなく、実はスキューバマスター200m(液晶デジタル)を潜るときに以前愛用していた。ログを取るのに便利であり、これとアラジンプロをダブルでつけていたのが私の15年位前のダイビングスタイルであった。なぜダブルだったこというと、当時のアラジンは時計機能がなく、En/Ex時間と水温の記録ができなかったためである。スキューバマスターはそれをうまく補完してくれた。

さて時は流れてダイビングコンピュータに時計機能は当たり前になり、ログ機能も充実しているためにダイコン一つで過不足なくなった。ダイバーズウォッチはもはやダイコンさえあれば無用の長物となったわけである。さてそれではダイバーズウォッチはどこに向かうのか?ということになろうが、セイコーの売り方は相変わらず飽和潜水での使用に耐える(すなわちファンダイブにはまさに無用の長物)、究極の性能を持った潜水時計である。
しかしこれは時計好きなダイバーには刺さるのだ。

前置きが長くなったが時計を見てみよう。
外胴モデルはセイコーのオリジナルであり、インナーケースへの衝撃や傷を回避するだけでなく、ベゼルの誤操作を防ぐためのカバーも兼ねている。1000mのTUNAの材質は、外胴がジルコニアセラミックで、ケースがチタンだ。腕時計としては新しめの材料が使われており、これは非常に目的に沿ったものだ。
チタンは金やステンレススティールに比べて比重が小さく、時計は大きさの割に重くない。また秀逸なのは腕への装着感で、ラグと呼べるものはほとんどなく、外胴の内側に隠れるような位置からシリコンのバンドが生えている。この位置は非常によく考えられており、巨大な時計にもかかわらず私の細腕にもよくフィットするし、つけていて回ることもなく安定している。以前のウレタンバンドよりもシリコンバンドは柔軟性が高くより柔らかであり、それがさらに快適な装着性をもたらしていると思う。Tunaはデカいから無理、などと思わずに気になるなら試してみるべきである。
 外胴の内側にあるベゼルはダイバーのアイコンであり、デザインは極めてオーソドックスであるが質感・回転感触もソリッドで固めであり、プロ機器として納得の出来である。
 風防はサファイヤであり、物凄く分厚い。インデックスや針、デイデイト表示窓以外の部分はとにかくポリシー通りのまっ黒である。「深海の黒いやつ」だからね。
 針は50周年モデルで従来の伝統的な形から、時針は矢印、分針はペンシル形状に代わっている。形の趣味はそれぞれだが、旧来のものがセイコースタイルだととらえている向きは多いので、出た当時あまり評判は良くなかったように思う。しかし海中での視認性は新型が勝る。機能優先でのデザインチェンジであり、職業ダイバーにとっては歓迎されるべきことであろう。しかしユーザは職業ダイバーよりも圧倒的に一般人が多いので、プロの意見は地下に潜ることになるかもしれない。
 デイデイト表示は従来と変わらず、英語と漢字表記を選べる。いずれにせよ土曜日が青、日曜日が赤であり、職業ダイバー以外の多くはこの時計は週末用であろうから、この色は感覚的に週末気分を盛り上げるのに一役買う。これはかなり効果的であり、同意してくれるユーザも多いのではなかろうか。
 ダイヤルは艶が押さえてあり、針とインデックスの視認性はとにかく最高である。ルミブライトのインデックスは針、ベゼルの▽とともに強烈に薄青く光る。夜光はダイバーにとって非常に重要であり、わずかな光でも蓄光するし、光の強さも十二分である。
 セイコーのダイバーはPROSPEXシリーズに整理されたので、ダイヤルにはあまり評判の良くないXマークが印刷され、竜頭も立体的なSからXのエッチングに変わった。確かに竜頭は私もSの従来のもののほうが好みである。ではなぜSBBN013にしなかったのかというと、真面目に潜りに使いたいので新品を買いたかった、ということと夜光の性能アップによる理由が大きい。
 さて今回なぜクオーツかということに触れていなかった。日常でもダイビングに使うにしても、実用ではTunaはクオーツが最高であるというのが私の結論であり、以下に理由を列挙する。
(1) 竜頭操作による浸水のリスクに鑑みると、竜頭の操作(解放)回数は少ないほど良い。私はほとんど週末しか使わないから機械式やスプリングドライブでは平日に必ず止まることになる。よって使うたびに時刻合わせで竜頭を操作することになる。
小の月から大の月に日付が変わるときが一年に5回あるが、クオーツでは、ねじ込み竜頭を開放するのは理論上この5回だけで済む。5年の電池交換サイクルでたったの25回だ。竜頭及びチューブへのダメージは極めて少ないはずだ。
(2) 当たり前だが正確であり、かつ7C46という、ぶっとい針を回せる高トルクのSEIKOならではのクオーツは魅力的である。当然輪列には石も入っている。7Cはこれと9Fにのみ現存する、時間の微調整機能を持つ。その調整単位は0.26秒/日である。
(3) 電池交換1回無料券がついている。すなわち10年間メンテフリー(!)だ。

この時計は機能もデザインも突き抜けており、TunaはTuna以外に同じものはなく、所有してみて想像以上に満足度が高い。ガシガシ使えるプロの道具というのは、身に着けていて気持ちがいい。
セイコーダイバーは50年の歴史があり、国内ばかりでなく海外モデルも含めるとそのモデル数は莫大である。微妙なモデルもあるが多くは魅力的であり、最近ではサードダイバーの復刻が海外モデルとして出たばかりである。バンドを変えても良いし、防水性が怪しくなるがドーム風防へのチェンジ、針のチェンジなどカスタマイズで楽しむマニアも多い。セイコーダイバーに特化したマニアは世界中に存在し、スイス製時計マニアなどとは別レイヤーに潜んで活動をしている感がある(PuristSやTimezoneではなくWatchUSeekとかWorn&Woundとか)。なんとなくパネライの楽しみ方に近い気もするが、ベースの時計がパネライよりも相当Affordableであるからして、ゴロゴロと持っているようなマニアも多い。こちらも意外と沼である。それもかなりディープだ。

最後に一言、やはり時計は面白い。

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2016年1月30日 (土)

Seiko Lord Marvel 最初期型(の2ndロット)

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偶然この時計について認識するようになり、縁あって広島方面から私の元にやってきたのがこの最初期型ロードマーベルである。1958年製、Sマークつきはわずか8ヶ月間程度の製造だったとのことだ。最初期型の2ndロットとタイトルに書いた理由は、これは文字盤の23Jewelsの下に星のようなマーク(通称SDマーク)があるが、1stロットではこれが無いそうだ。

いずれにせよSマークつきの非ハマグリケースが所謂「最初期型」と言われているものであり、製造期間が短かったため現存する個体数もそれほど多くなさそうだ。
機械はクラウン、マーベルから続く本中三針の系譜であり、系統で分けるなら諏訪系である。一方このころ亀戸がオメガの30mmなどを手本にスモセコ輪列の機械を試作したそうだが、世間で売れていたのは中三針であり、このスモセコ機械は世に出ることなく終わったと聞く。その結果Seikoは中三針の時計を発表し続けることとなるが、まさにGSの発表前夜、Seikoが初めて「高級時計」として売り出したのがこのロードマーベルである。
故に当時のSeikoの最高級時計であるため、Seikoの持てる力を出し尽くしていると言えよう。
文字盤のグレードの話であるがSD文字盤とは、14金(or18金)植字インデックスなど最上級のつくりであることを示している。なお当時のグレードは三種類あり、SDADEDとなっている。
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このような詳しい内容は全てトンボ本に書いてあり、それ以上のことを書けるほどの知識も経験も持ち合わせていないので、純粋に時計としてどう感じるか、といったところにフォーカスし、例によってつらつらと書いてみたい。
この時計を手にして最初に思ったことは、このデザインや品質は、当時のスイス製高級時計の文法を守っており、またそれらに十分比肩しうることだ。それは、
・針の長さが完璧(インデックス外周に届いているか否か、長短針の比率など)
・針のクオリティが高い(分厚いドーフィン、長針の先端が文字盤側にぐっと曲げてある)
・文字盤のクオリティ(ドーム形状、繊細な彫文字、14K植字インデックスなど)
23石と多石であり、マーベルと比べより磨かれたパーツ類を採用
・高精度な機械(実際にこの個体は日差+15秒程度である)
などである。
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ケース径約は約34mm、ドーム形状のプラ風防に加え、中庸だが工作精度の高いケースを持っており、メーカー名を気にしなければ、Geophysicや手巻きChronometre Royalなどと並べても引け目も感じないほどであるといえば言い過ぎか。
この時計の何に魅力を感じるかは人それぞれだと思うが、好き者はペットネームの彫り文字にそれを強く感じるだろう。パテックやバセロンの盛り上がったエナメル象嵌文字も非常に魅力的だが、この彫文字はまた別種の、格別な魅力を放っている。
この彫文字はこのあとSマークがなくなっても継続するが、GSが世に出てSeikoの最高級品の立場を退いたのと前後してプリント文字になっていく。ロードマーベルの最初期型が好事家に好まれるのは、このような背景を考慮すると理解できるところである。因みにSDマーク文字盤はGSファースト、GSセカンドの途中まで採用されるが、その後はGSですらADとなったのち、この文字盤上のマークは消滅している。
機械に関しては、直径25.6mmの本中三針の機械であり、マーベルの機械と比べても2番の受けや丸穴・角穴車の磨きなど細かいところが異なっている。またバランスコック上のひげ持ち押さえのネジが特徴的であるが、時代が進むとこのネジも省略されている。この機械の精度は特に優秀で、並み居るスイス勢を越えた記録などWeb上でも漁れば多数出てくる。
機械の全体的な見た目については既にセイコースタイルが確立されており、工業製品的である。逆に言うと戦前の懐中を小さくしたような、スイス勢のブリッジ分割のような詩吟は見られない。
 
私がこれまで少ないながらもある程度のコレクションを手にし、愛でてきたうえで気がついたことは、これこそが歴史である、ということだ。かといってだからこの機械がダメだというわけじゃないが、現在のGSまで脈々と続くセイコーの機械のアピアランスは、ここに原点を見る想いだ。
ここで言いたいことは、このロードマーベル際初期型には、当時の国産時計の立ち位置や実力が全て詰まっており、そこから当時のスイス製高級時計との関係すら推し量ることが出来る、ということである。
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当時まだ機械式腕時計はバリバリに実用品であったため、「高級時計」を打ち出す以上、高精度であることは絶対だ。そして時計の外観もスイス製高級時計に比肩するべきものとすべきであり、それはこれまでに述べたとおり、相当な水準で具現化している。
一方精度を追求するうえでは、熟知したこれまでの機械をベースに用いること以外の選択肢は、当時無かったと思われる。その結果がマーベルの25.6mmの機械(キャリバーナンバーなし)のリファインだ。これに諏訪は絶対の自信を持って臨む。しかし続く真の高級時計「グランドセイコー1st」では、25.6mmの機械を拡大し27.6mmのサイズで新設計(Cal.3180)しているのは、やはり大きな機械でこそ高精度かつ高級である、というイメージを具現化したかったのだろう。しかしながら機械の意匠という点では、マーベルもGSもほとんど変化無くセイコースタイルそのものである。そしてこの事実は、現在のグランドセイコーまで脈々と続くことになった。
すなわち現在のグランドセイコーは、外装は完全に高級時計そのものであり、GS規格の精度も素晴らしい水準である。しかし、やはり高級な実用時計なのである。この基本的な立ち位置は、実は50年代当時と全く、本当に全く変化が無い。
繰り返すがセイコーの考える高級時計とは、高級な実用時計なのである。そこには機械に対する審美性の追及という観点が、スイス製高級時計と比べて顕著に見られないのは、ロードマーベルがこの世に出た時代から変わっていないのである(その意味で彫金のクレドールは異端だ)。
 
こういう見方も出来る。ロードマーベルからグランドセイコー1stは当時、実用上の高級時計として本当に良くできていた。しかし高級な時計というイメージに対し、高級な実用時計である必要性よりも、実用性を担保していることを踏まえてさらに、時計というモノに対して畏怖の念を抱かせるというか、そのような圧倒的なレベルのものを求める人々はいたはずだ。
雲上三大が雲上である理由は、はるか昔から、時計士しか目にすることが出来ないにもかかわらず、法外な値段になることも含めて審美性に富む機械を作り続けてきたことに尽きると思う。しかし後進の国産時計が、それと同様のプライスタグをつけても売れるはずが無い。よって精度の追求へと舵が切られるのは、今考えても十二分に理解できる。この精神は脈々とGS規格へと引き継がれていき、さらにはスプリングドライブの根底にも流れるものと思う。
 
さて話が散らかったがまとめに入る。
これまでの論の逆説的ではあるが、高級な実用時計とは何か、という観点で、その時代時代の背景や価格などを加味しながらセイコーの歴代時計を見てみると、その系譜は非常に魅力的である。ここでトンボ本にまた言及するが、この本の素晴らしいところは、その時代の給料レベルなども記載してあるため、肌感覚で当時の販売価格から当時の価値を知ることが出来る点だ。
最期はステマのようになってしまうが上記のような理由も含め、われわれ日本人がビンテージ国産を楽しむにあたり、その系譜や時代背景を吟味する(日本人だからこそ吟味できる!)ことは大きな要素であり、この楽しみのためには、トンボ本は不可欠である。コレを手にした瞬間、好事家は国産ビンテージを入手せざるを得なくなる。

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