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2019年10月 9日 (水)

呪縛から逃れるシリーズ(2)エボーシュ

Unknown

 歴史的側面から書いてみたい。まず1600年代頃に一般的であったバージの懐中は、姿勢差や温度変化にも弱く精度の面ではレバー脱進器以降と比較にならないものであった。この時代の懐中は文字盤から何から本当に手作りで、今のプロダクトのレベルからすると手作り感がありすぎの一品もので、いわば機能性装飾品と言える。シリンダー、デテント、アンクル脱進器になってくると計時機能そのものを実現する携帯ガジェットに進化し、1800年頃以降、ムーブメント、文字盤、針、ケースなど構成部品製造はほぼ完全に専業メーカーに分業されていく。餅は餅屋の世界である。

 数百年分を恐ろしく端折って書くが、大航海時代は経度の認知に必要なマリンクロノメーターが実用化、発展し懐中サイズになり、英国・フランスから製造主体がスイス、アメリカに移ると、鉄道の発展とともにレイルロードグレードというものができ、1900年頃までは欧州とアメリカで時計産業が活発になっている。特にアメリカの時計産業が発展したのは、同じ形式のムーブメントでも個体ごとに作っていたため例えば一つのブリッジが他の同形式ムーブメントにはジャストで合わないという製造方法から、個体によるパーツの互換性が確保されたことが大きい(修理が容易)。アメリカでもパーツは基本的に専業メーカー、すなわちサプライヤー製である。出来上がった製品はウォルサムでも、それぞれパーツは専業メーカーが作っている。顧客はムーブメントのサイズとグレードを選び、デニソン製等のケースのグレードや形式を選び(金・銀・金張り、ハンター、ハーフハンター、オープンフェイスなど)・・・そして出来上がった時計が納品となる。パーツの中の重要なものとしてムーブメントがあり、アメリカ懐中産業が死にゆくなかでスイスは腕時計産業として生き残るが、ここでもパーツ専業メーカーが狭い地域(ジュウ渓谷など)に集まった環境から、完成品としての腕時計を市場に送り出すという形式が続いていたわけだ。この時代は19301950年代の機械式時計黄金時代を含む。

 ここでやっとムーブメントの話。この頃は多くのムーブメントメーカー(エボーシュメーカー)が存在し、多種多様なムーブメントを時計製造業界に供出していた。時計メーカーは機械を含めサプライヤーが作ったパーツを組み合わせて製品として世に出す。極論すれば時計ブランドは、全体設計およびアッセンブリー・調整・仕上げ屋だったわけである。パーツに関していえばサプライヤー、すなわち餅は餅屋のほうがクオリティは高いし安いはずだ。ただし全体のパッケージとクオリティを決めるのは時計ブランド側だ。これこそが時計メーカーの意義であった。

 ところが1990年代以降の機械式時計産業復興時点では、数多あったエボーシュメーカーはクオーツの荒波を乗り越えることができずに極端に減少し、エボーシュ連合としてSMH(SSIH)グループ(現スウォッチグループ)内にETA/ Peseux/ Valjoux/ Unitas/ Lemania等のみが存在する状態となり、市場に供給できる機械の形式は極めて少なくなってしまった。その結果、市場に存在する機械式時計の多くが28922824、という世界になったわけだ。この構造が市場にバレ始めると、高級ブランドを目指すメーカーはムーブメントを自社開発し、「マニュファクチュール」を標榜することで差別性・独自性を誇示することとなった。ムーブメントばかりでなく、QCの意義もあり各種サプライヤーを時計ブランドまたはそのブランドが所属するコングロマリットが買いあさり、多くの有名時計ブランドはパーツを自社またはグループ内で調達可能な垂直統合方式が主流となった。極めて乱暴に言えば、これが現代の時計産業メジャーの姿である。

 まとめると、特にムーブメントを自社開発する必要に駆られたのは実は90年代以降、事実上はETA2010年問題も絡むここ十数年の話であり、クオーツが席巻する以前はエボーシュメーカーが供給するエボーシュをもとにほぼ全ての時計が作られていた。断わっておくがJLCもエボーシュメーカーの一つである。

 ここで大多数が気付くことは、自社開発機械かエボーシュの採用かは、昔は意味がなかったということであろう。またJLCUnitasLemaniaCortebertEnicar等多くのエボーシュメーカーも外装パーツを買ってきて、自社ブランド銘の時計を世に出していた。機械は文字通り心臓部だから、エボーシュメーカーが時計ブランドになりやすいという構造はもちろんあった。

 しかし考えてみれば機械式時計黄金時代の名作と言われた時計は、優れたパッケージと高いクオリティを持つパーツの採用による絶妙なバランスを持ち、かつ優れた組み立て・調整・仕上げがなされたものであり、機械がどこで作られたかはあまり関係ない。これを現代に当てはめると、エボーシュの採用を卑下する態度は、そもそも認識不足だと考える。これではAPVacheronの名作群も卑下されることになる。Patek130や初期96などどうするのか。

 昔から時計メーカーは、パッケージを設計してアッセンブルしていた。どの機械を使ってどのように仕上げるかは勿論時計メーカーの裁量であった。目的のものを作り上げるために、今世にある何を使ってどうするのか、ここで取りうる手段としては、新たに一から作るよりも信頼性もある現物を加工して仕上げるのは最良の答えであろう。ただし、機械の選択肢が豊富にあった時代と、その選択肢が狭まった現代という違いはある。

 しかし状況は「マニュファクチュール至上主義」時代、すなわち2000年代から更に先に進んでいる。設計手法や試作手法、工作機械や材料など機械製造業を取り巻く環境も大きく変わってきており、優れたクオリティの各パーツサプライヤー・エボーシュメーカーが業界内外に増えつつある。

 こうした状況を踏まえると、昔の時計ブランドのように純粋に設計し、パッケージングを整えてアッセンブルする時計ブランドがエボーシュを採用することは何ら卑下されるものではない。より重要なのは設計すなわちパッケージングと、高度な組み立て調整や仕上げであると思う。

 ETAポンなどと言って卑下していた時代は、もう昔のことだ。我々時計を趣味とするギークは、あまたの時計ブランドが構築してきたマニュファクチュールというポエムから脱出し、本当に良い時計とは何か、いま一度考え直すステージに到達する必要があるのではないか。(そのころにはETAの凄さも認識していることだろう。)

 今思うことは、時計のもっとも重要な軸はパッケージである、ということだ。これに尽きる。そのパッケージを作り出すために必要なパーツが現世に無いのであれば、機械も文字盤も針もケースも一から作る、あるいは作ってもらうしかない。ただそれだけのことである。

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コメント

こんにちは!いつも楽しく拝読させて頂いております。


私は半年前に初めて機械式の自動巻時計を購入したのですが、それはRef15400stのロイヤルオークでした。エクストラシンでは無いです。


その時に最終的に決め手になった要因が、「自社ムーブメント」だったのを思い出したので、少しコメントさせて頂きたいと思い、感想を書かせて頂きます。

ある時機械式時計に関心を持ち、元々マニアックな性格だったので、1年かけていろんなメーカーの時計を百貨店などをはしごしながら探し回り、


最終的にAPのRef.15180BC(ただし並行で、半額以下で買えますので)かRef.15400stで迷ったんですが、まだ20代なのでスポーティーでまだタフそうなロイヤルオークにしました。

その最終選択肢の両方に共通しているのが、「自社ムーブメント」です。


最初は本やムックを読んだとき、「etaセリタは量産型で、自社で作っているメーカーは凄い!」みたいな、たぶん今の初心者あるあるなんだと思うんですけど、

まさにそのバイアスに引っかかって、100万越えのする、ジャガールクルトとかの美しい自社ムーブメントに惹かれながら、自社のばっかり追いかけていました。

しかし半年ほど経過して、多少知識がついてくると(今も全然知らないですが)、
汎用ムーブでも、めっちゃ手をかけたものではびっくりするほど美しい仕上げのものもあったり、


ブランパンとかブレゲとか、素人目でしたらそもそも自社ムーブメントなのか否かが曖昧で判別できないものもあるのも知ったので、


自社製か汎用かで判断するよりは、
ムーブメントから購入を考えるならば、グラスバックから見て自分が欲しいと心の底から思ったものを買った方が満足できるかもと考えるようになりました。


 
でも最終的には、「自社製」を謳っているロイヤルオークにしました。


理由は定価でもいいから正規店で買いたかったこと、Cal.3120のシースルーバックから見る美しさ、


そしてそれ以上に、理屈ではわかっていたのですが、
メンテナンス費がどれだけかかっても一生付き合っていきたい相棒であるならば、やっぱり自社製が欲しい、いいって思ったことです。


やっぱり量産型ザクよりも、ガンダムがいいって思ったのです。
(最も、自社を称するCal.3120も量産品ですし、
0からの自社設計かと言われれば、ジャガールクルトの魔改造品だと認識しているのですが)

今はもし新しく時計を買うとすれば、予算にもよりますが、まずガワを重視しますし、
ムーブメントは正直どっちでもいいです。

つけ心地で考えるならば、鉄の裏蓋である方が、良いとも思います。

ですが、振り返って考えてみると、今そう思えるのは、
一本でも工芸品のような良い「自社製」ムーブメントを持っているんだという「余裕」があるからであり、

たぶん最初だからと30万前後の汎用ムーブの時計を買っていたら、自社の束縛から未だに逃れられなかったかもしれません。

美術的なものは、いいものをたくさん見た方が、良い目を育てられると聞いたこともありますし、
最初はお金に余裕がある限り、汎用よりも手が込んでいる「自社」を買ってその幻想に喜んでみて、
その後に今回の記事のような奥深さを学んでみても面白いのかなと思いました。


追伸:
レベルソ好きさんがRef15400stをジェンタデザインからかけ離れてるからお嫌いであることは知ってます笑。


確かにムーブメントも小さいのを無理やり入れた感がシースルーバックから見てもありますし、(だからRef.15500では大きい新型入れてますね)

日付もムーブメントの直径から気持ち内側えすし、


風防とダイヤルの間が結構空いてるので、角度によっては結構チープに見えることもありますし、

なによりもブレスが若干厚いので、たぶん重量が増えて、つけ心地はお世辞にも良くは無いです。重いです。


たまたま見た5402stと、エクストラシンに比べたら、マニア的観点から観ればiphoneでいったら、XRとか11だとは思います。
要は廉価版でしょう。


でも私はこれが一番大好きです笑。
それは時計のスペックではなくて、当時の自分が買える中で、一番良いものを見つけ出して買えたという満足感があるからです。


今新品のエクストラシンとただで交換してくれるって誰かが言っても、絶対嫌です笑


時計選びはマニアの方でも必ずしもカタログスペックだけではないこだわりがあるというのが、時計選びの面白いところだとも素人目で見て思っています。


ですがせっかく買ったんだからうんちくも知りたいと思う一方で、
私が不勉強だという点も大いにあるのですが、

Cal.2120とCal.2121に関してはクロノスとかで解説をよく見ますが、
Cal.3120に関しては、あんまり詳しい解説を観たことがありません。

見たことがある中でも、ある記事にはCal.2120をベースに、とある記事もあれば、
Cal.889をベースにと書いてある記事もあって、正直良く分かりません。


好きでもないムーブメントについてお聞きするのもアレなのですが、


差し支えなければかつご存じであれば、
ぜひCal.889系統をご解説なさっているように、
どうかCal.3120と、ジャガールクルトとどう繋がっているのかを、ぜひブログ記事とかでご教授頂けないでしょうか?


特に今年に入ってからは、ロイヤルオークは人気になったそうですし、旧キャリバーと新キャリバーで悩まれている方も世間にはいらっしゃるようですので、
ブログ記事の閲覧回数も増えるかもしれません笑


ぜひぜひお時間がありご存じでしたらよろしくお願いいたします。

投稿: APにわか好き | 2019年10月10日 (木) 22時39分

コメントありがとうございます。
ロイヤルオークをお持ちなのですね。文章の熱量が凄くてビックリしてしまいました。
さて3120について調べてほしいとのことですが、今のところそのつもりはありませんのでご了承ください。そのうち気になって調べることもあるかもしれませんが、今は掘り下げたいことが別の方向なのです。
そこで逆にお願いですが、ぜひご自身でお調べになって、それを何らかの形で発表されてはいかがでしょうか。貴殿のように3120の情報を欲している方もいらっしゃるかもしれません。
記憶では3120の開発はAPがJLCと資本関係が切れた後なので、独自にルノー・エ・パピでやっているはずです。製品として最初に搭載されたのはジュールオーディマでした。ルノーさんはもうこの会社にはいませんが、ジウリオ・パピさんは現役だと思います。何年か前に来日した際にお話を聞くことができ、その時は機械の仕上げの話を主にされていました。また来られる機会もあるかもしれませんね。

投稿: レベルソ好き | 2019年10月11日 (金) 10時31分

解る!解る!踏まえて、いつかは良い時計が欲しいものです。

投稿: エキゾチック・若社長 | 2019年10月18日 (金) 21時13分

解る!解る!いつかは良い時計が欲しいものですね。

投稿: エキゾチック・若社長 | 2019年10月18日 (金) 21時46分

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