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2016年8月26日 (金)

原理主義というか最初の刷り込み主義

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 最初に時計にのめりこんだ時期に遭遇した時計というのは、記憶の中で本当に色あせることがない。私にとってのそれは一連の90年代に出たレベルソであり、ロイヤルオークジャンボであり、レインボーフライバックである。例えばレインボーフライバックなどは今見ると(というか当時から)ケースはダルダルで当時のロレなどと比べるとそれは酷いものだった。当時のゼニスのマンフレディーニ社長がデイトナを指して「このレベルのケースを作れ」と怒鳴ったとかなんとか、そんな話も聞くほどだった。そうかといっても未だにレインボーフライバックの魅力は少しも衰えない。

 またジャンボに最初に出会ったのは、百貨店の顧客向け食事会だった。15202ジャンボの白文字盤、「これがまだ生産されているのは奇跡的だけどものすごく数が少ない。いつ生産が途切れるかわからないので確実に欲しいなら手付を打っておいたほうが良いですよ」との百貨店の店員の説明をよく覚えている。当時はこちらもそう思っていたし、新品で手に入るのはもうそう長くないなと感じていた。その当時で、確か120程度の価格だったと記憶しており、当時簡単に手が出る代物ではなかったが、漠然としたあこがれだけは強く残ったものだ。

 当時の時計たちはまさにあばたもえくぼ(ジャンボはほぼ完璧だが)、いまだにそう思えるというのはもはや刷り込み主義とも言えるようなものか。
 やがてつまみ食い的ながら知識も多少増えてくると、新作についてはそれなりに良いところ、悪いところが見えてくる。しかし最初に刷り込まれた時計については、何故かその評価軸に乗ってこない。もうダメなところも偏愛対象になるのである。

 それ以降、新作で購入に至った時計は実は本当にわずかであり、結局コレクションはどんどん古いものへ偏ってしまう。ダメなところが許せなくなれば、ダメポイントの少ないオリジナルとかビンテージに偏ることになり、かくして原理主義的になってしまうところが、つきつめたオタクの悪いところだろう。これは自分のことを言っている。気楽に楽しむことが出来なくなってしまっているのだ。
そして最近、時計趣味が一周したと感じたのは、また再び気楽に楽しむということをSeikoの時計を通じて感じることができたためであり、かくして二週目に突入(かコースアウトか?)するのである。

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