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2016年8月20日 (土)

一周したという感覚

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 言葉に表しにくいのであるが、最近の私には時計趣味が一周したという感覚がある。それには腕に最近お気に入りのSeiko 3rd Diver’s MODをしていて、はたと気が付いた。この時計は針・文字盤・風防・バンドを交換した結果、ケースバック以外にはどこもSeikoなどメーカー名と思しき文字がなく、着用している状態ではメーカー不詳なのである。(ケース形状など見る人が見ればもちろん判明するが)。

 すなわちこの時計は、メーカー名を誇示することが出来ない、すなわち自分以外の第三者に対して、その外見以外はアピールすることができないのである。これこそが典型的な自己満足の世界であり、自分と時計との関係において、自分以外の第三者が意識に介入してくることが皆無、ということである。

 逆説的にこの事実により、それなりのメーカーの時計を腕にしているときには、第三者の目にどう映るかということを、ごくわずかでも意識していたのかもしれない、と気づかされた。そうこのSeiko MODは、”第三者の意識”というファクターが皆無なのだ。銘のある時計との最大の違いはそこである。

 しつこいが繰り返すと、この時計の存在により、これまで銘のある時計を着用していた際には、わずかながらも第三者の意識が存在していたということに気づかされた。ただし世間的にほぼ無名なHentschelやBenzingerなどですでに経験していたはずであるが、本当に銘が無いということでそれが明確に感じられるようになった。

 趣味とは、そもそもそういうものではなかったか。他人にどう見られようと関係なく楽しめるのが趣味なのではないか。このような考えに至ったことが、一周したという感覚を得られた要因だと思っている。
アンダーステートメントの美徳というやつ、だな。

 例によってこの世界では、一周したらロレのエアキンかデイデイトみたいな風潮もある。そしてそれは正しいと思うし認めてもいる。「エアキンやデイデイト」は”一周時計”の具体的な提示という意味では非常にわかり易いしティピカルと思える。しかし、そればかりでもない、と思うわけで。

 なお一周したからといってアガリになるかというとそういうことでもない。二周目、三周目に突入しても構わない。いやひょっとするとここからの世界こそが、本当の趣味の世界かもしれないのである。

PS. 実際に三周目くらいに突入している人は数多く存在する・・・N○○Sさんとか(伏字になってないw)

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