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2016年7月31日 (日)

パテックという時計

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 Patek Philippeという時計には、何か特別な感情がある。時計Geekとして拘りぬいた、いわゆる雲上時計をたとえ所有したにせよ、それがVCやAPである場合、やはりパテックを意識せざるを得ないのである。この感情は非常に複雑だ。

 回り道したくないのなら、最初からパテックを入手すべきであろう。そうすれば複雑な感情に惑わされることもない。直前のエントリで書いたように、時計歴がそれなりにあるつもりでもパテックを所有していない(所有したことがない)というのは、ある種の負い目であり、ルサンチマンになり得るのである。

 APとVCに関しては、もうオリジナルROジャンボもVZも手巻きクロノメーターロワイヤルも経験しているので、これ以上の時計は(ROのQPくらいしか)思いつかない。もう満足しているのである。個人的趣味の真ん中であるJLCにしてもそうだ。事実上、数本のレベルソとGeophysic、Geomaticで完結しているのである。最後やはりパテックだ。
(私の場合、そのあとに国産という更なる深淵を覗いてしまうことになるが、それもすべて縁である。)

 これまでパテックを所有してこなかったのは、縁がなかったというのが最大の理由かもしれないが、私の天邪鬼な性格もその一助となっているに違いない。それが”耳年増効果”に起因することも理解している。またバジェット面でのタイミングというのもある。あらゆる因子が、これまでパテックの所有を遠ざけていたのだ。

 パテックという時計の存在を知ったのはもう20年前くらいであろうが、パテックに気持ちが行くようになってきたのは、実はここ1~2年である。タイミング的にはROジャンボの後だろう。やはりここで、”JLCを巡る旅”は一区切りついていたのだ。
 今この文章を書いて改めて気が付いたことがある。私はこれまで長きにわたって”JLCを巡る旅”を続けてきたのだと。そしてこの旅は、920入りの最高の時計をもって、自分の中にある山の高みに登頂したのかもしれないと。
 
 そこからの視界はどうだったのか。高みに来るための登山道のうち、王道を上ってこなかったのではなかったか。あるいは他にも山が存在するのではないか。
 自分の中の気持ちが整理されてきた。いまこそパテックを見てみるべき時ではないか。

 さて一言でパテックというが、ブツはピンキリである。ただしグラコンなどははなから手が出ない。ここで最もパテックらしい時計とはなにか?を定義することにトライしたのだが、どうにも捉えどころがない。そんなことよりも、とにかくピンとくるブツに出会えるかどうか、これが全てだと思った。まさしく縁なのだ。

 そしてこの1~2年の間、機会さえあればパテックの現物を見ることに勤しんだ。そうすることによって、これまでわからなかったことが確かに見えてくるようになった。しかし結果として”耳年増効果”だけが増してくる。アーカイブの見方や、いわゆる文字盤の”洗い”などを含めた状態とか、ケースの状態だとか。

 Vintage Watch全般で非常に大切なことは、いかにオリジナルに近いか、人の手が入っていないか、醜い経年劣化がないか(良い経年"変化"はあり)、ということに尽きる。そうしてみると、所有したい欲求は強くあるものの、どんどん購入するという踏ん切りがつかなくなってくる。時計は一期一会だ。特にVintageは完全にそうだ。

 はなしがVintageにのみフォーカスしているが、別に現行のパテックの時計が嫌いなわけではない。しかし価格と品質が見合っていないと感じるし、上から目線の今の売り方が何よりも嫌いである。

 3923とか3796で手を打つことも考えられるが、それでは全く面白くないし時計も小さ過ぎる。ただ単にパテックというだけである。だったらジャンボエリプスなどのほうがよっぽど面白い。
 そうなると必然的に35mm前後のケースを持つ時計がターゲットとなる。28-255はもういいかな的な感覚もあり、それより前の年代のパテックが良いだろう。対象となり得るリファレンスは多いが、"完全に信用できる怪しい人"経由で縁あって、結果的にほぼ未使用の3429が手元にやってくることになった。このような程度を保持したものは、この数年で目にしたことはまず無かった(思い出すのは10年以上前に見たNOSのSSの96くらい・・・手巻きするとキンキンと響くあれも凄かった)し、これからも目にする機会は限られてくるだろう。だからこそこの時計に価値がある。

 この時計の機械をプロ中のプロに解説してもらった。そしてパテックの物凄さを、言葉にならない感嘆とともに受け止めることになった。残念ながらそれはビジュアルというか動画などでしか説明しようがなく、文章化することはできない。
オートマのpp竜頭にも二種類があるとか、その他の興味深い話も沢山聞けた。詳細を書くと相場に影響を与えかねないので、申し訳ないがここで公開はしない。

 入手に至った道筋も、そのあとプロの話を聞けたことなども全てタイミング等々が絶妙だし、また前オーナー様とも別方面で話が合うなど色々な面で自然な流れを感じることが出来た。繰り返すが時計は縁である。無理にはいかない。人脈を広げ、気持ちを強く持ちつつ流れに身をまかせるのだ。貴方にふさわしければ、それは近づいてくる。(この3429が私にふさわしいとは、まだとても思えないけれども)

 Geophysicなどもそうだが、これらはもう二度と生産できない人類の文化遺産的なものであるからして、状態を極力維持していく責任が所有者には求められる。自分のカネで買ったから何をしてもいい、そういう世界ではないのである。単なる投機対象でもない。それがパテックという時計である。

 このようにして、いっとき私に所有が許されたこのパテック、次代に引き継ぐため役割と責任を果たしていきたいと強く思っている。

PS1.なお山が富士山とすれば、国産時計は樹海である。そこは方位磁石も役に立たない、という。(ただし私の場合は強力な道先案内人が存在するのだ。)

PS2.結構な数のパテックを見続けたので、副次的効果としてVCやAPの昔の時計についてもより理解を深めることができるようになってきた。特に文字盤がオリジナルか人の手が入っているか、など。

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2016年7月30日 (土)

Editorial – “耳年増”の評価

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最近感じたことをつらつらと。何を言いたいのかわからない文章になると思うのでそのつもりで。

世間に生息する耳年増の時計Geek達、その典型が私である。
そして、世間一般のなんとなくコンセンサスを得ているような感じの、それぞれの時計に対する評価というものがある。この評価というものは、時計に関してある程度以上詳しそうな、あらゆる人たちがこれまで発信してきた内容をごちゃ混ぜにしたようなものだ。あらゆる人とは、WebsiteやBlogを書いている人、雑誌に寄稿している人、あるいは2chの時計板やFB,Twitterなどでいろいろ書いている人などを指す。ある時計に対する評判とは、例えばパテックの最高の三針はトロピカルのえくぼダイヤルだとか、APのVZはデュフォーさんがシンプリの機械の参考にしてるから凄いだとか、そういう評価である。
そしてそれは時計の中古価格にももちろん影響を与え、中古価格をコントロールしたいような人たちもその”評価すること”に参戦する。

純粋にその好きな時計を語りたいという思いから、発信をし始める人がいる。その時計の良さを語れば、多少の自慢も入るだろう。
そしてまだ時計を購入する前なら、往々にして世間的な評価というものは気になるもので、事前にいろいろ調べたりもするだろう。
一方で全く調べずに、ただ好きだから買う、という人もなかにはいるだろう。調べるのが面倒くさいからかもしれないが、それはひとつの理想ではある。
しかしろくに調べもせずに”ただ好きだから買う”ことは、購入原資に限りがある小市民にはなかなかできることではない。だからこの”よくわからない世間的になんとなくコンセンサスを得ているような感じの評価”を気にするし、web上で調べ始めると、それらをあちこちで目にするようになる。
このファジーな評価とは、いったい何なのだ。ここで考慮したほうが良いことは、好き嫌い、良い悪いを発信する者の多くは、時計を弄ることについてはほぼ素人であるということだ。もちろん私も含めて。

では玄人とはなんだろう。
それは、ここでは業界の中に身を置き、しかも”セールスではなく”、時計の設計や組み立て、修理あるいはオーバーホールをするような技術者たちを指すとしよう。
彼らは、一般的にほとんど発信をしない。むしろ販売店の後ろにおり、完全に隠れている。中古時計販売店はほぼ例外なく、実際に修理をお願いしている時計師や時計修理店の正体を隠す。例外的に表に現れている時計師は、メーカーの中にいる人か、独立して時計修理を生業としている人たちである。
そして彼らは商売柄、好き嫌いや良い悪いを殆どオープンにしない。メーカー社員は自社製品の良さを語るが、独立している時計(修理)師は、彼らの感想をオープンにしたら、客足が遠のくのが一般的であるため、多くを語らないのだ。

そしてこの趣味をある程度やってきて改めて気が付いたことは、私のような耳年増の素人は、特に機械のことなど何もわかっていない、ということだ。外装の良い悪い、好き嫌いは雄弁に語るけど。

世間一般で素晴らしいとされている時計や機械は間違いなくある。が、それは往々にして時計師の評価ではない。そして時計師の評価と耳年増の評価が一致している数少ない例も存在する。一例をあげると、それはPPの27-460である。この機械は本当に凄いことが良く分かった。あの自動巻きの機構だけでももはや悶絶である。一方でその前の機械はどうだろうか。みんな、見応えのあるギョーシェが施されたローターに目を奪われてしまっているようだ。それ以上はここでは書かないことにしておく。ただし、TZのWalt Odetsの記事で十分に伝わる筈だ。
機械の設計者の意図をくみ取るには設計図を見ることも重要であるが、分解して組み立ててみることでそれは十二分なのだろう。そして分解・組立が出来るような人は、たいがいそれを生業としている。繰り返すが彼らは彼らの感想や評価を、ほとんどオープンには語らないのである。

時計師が絶賛する機械が至高である、と手放しで言うつもりはないが、自戒を込めて、この世界は耳年増の素人の評価ばかりが目に付くので、あえて書いてみた。

これ以上は単なる好き嫌い評価サイコー論に堂々巡りするのでここらへんで。

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2016年7月19日 (火)

Zeitwinkel 082° エナメル ”グラン・フー”

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Zeitwinkelの国内正規修理担当のZenmaiworksさんによる、伊勢丹でのデモに参加してきた。そこで見たのがタイトルの時計であり、大いに感銘を受けたのでこのエントリを書いている。

ポイントは以下の4点。
(1)アラビックフォントを持つホンモノのグラン・フーエナメル文字盤とそのデザイン
(2)分厚い青針、カウンターウェイトの無いセンターセコンドと、針飛びを抑えるための機械の独自機構
(3)強烈に手間の掛かった仕上げが施された機械
(4)これらをトータルで実現しようとしたF氏のセンス

乱暴に言えば(4)にすべて帰着してしまうのだが、それでは文章化する意味のないものになってしまうので、特に上の3点について書いてみたい。

(1)青文字のアラビックフォント、これはまず一目でこの時計の特徴だと誰が見てもわかる。時計の歴史的に古来のフォントではなく、このメーカー独自のもの。ユルい感じが独特であり、好き嫌いは分かれるかもしれないが、機構や機械は深刻な時計であるにもかかわらず、そうは見せない表情を持つ。このバランスが良い。

(2)針は非常に厚く、立体的であるにもかかわらず、正面から見るとかなり繊細である。そして色は文字盤上の各種レターやロゴと統一されている。そしてなによりカウンターウェイトの無いセコンドハンド、これに尽きる。このような形状の針を回す場合、特に針飛びがあれば全く幻滅である。ある種の抵抗を与えることで針飛びを抑えることは大抵のメーカーが実施しているが、特にカウンターウェイトが無いこのような秒針への対応は深刻である。これを実現させるための独自機構が、二重になった歯車であるがこれがどのように作用するかは言葉にし辛い。一般的には部品間の摩擦を生じさせて針飛びを抑えるわけだが、それは回転運動を伝えるうえでのロスになると ともに、定期的な部品交換が必要となるものであるところ、Zeitwinkelでは第二の歯車を同軸に通し、そこで回転抵抗を与えるという方法で解決している。そしてこの機構とセットではじめて”スッキリとした秒針”が実現し、エナメル干支と三本の青針によってこの清潔感・清涼感のあるデザインが成り立つのである。デザインと機能・機構が一体となっているのだ。
デザインのこだわりは随所で見られるが、特に分厚い針同士と文字盤が密着しており、この精緻なたてつけは見事である。わずかにドーム形状の風防内面とダイヤルとの間隙はわずかであり、ここにぎっしりと針が収まる。高級時計の文法通りだ。

(3)機械のそれぞれのパーツは、強烈に仕上げてある。もう10年ほど前から某L1ですら、地板の香箱の入る部分はペルラージュがない。Zeitwinkelの082°は、強烈に細かいペルラージュが病的なまでに施されている。地板やブリッジばかりでなく、部品や部位によって鏡面や筋目模様など仕上げは異なり、およそすべての目につくところがいちいち手で仕上げてある。ここまで手間の掛かった機械が入った新品の時計は、今やこの値段ではほとんど手に入らない。

(4)すべてを承知で、これらを意図してプロデュースしたのがF氏だと聞いた。時計のあらゆる部分に精通したうえで、全体的な統括をしないとこの製品は生まれ得なかった。

それがすべてである。
多少興味がわいた人には、ぜひ一度手に取ってみることをお勧めする。

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