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2016年1月30日 (土)

Seiko Lord Marvel 最初期型(の2ndロット)

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偶然この時計について認識するようになり、縁あって広島方面から私の元にやってきたのがこの最初期型ロードマーベルである。1958年製、Sマークつきはわずか8ヶ月間程度の製造だったとのことだ。最初期型の2ndロットとタイトルに書いた理由は、これは文字盤の23Jewelsの下に星のようなマーク(通称SDマーク)があるが、1stロットではこれが無いそうだ。

いずれにせよSマークつきの非ハマグリケースが所謂「最初期型」と言われているものであり、製造期間が短かったため現存する個体数もそれほど多くなさそうだ。
機械はクラウン、マーベルから続く本中三針の系譜であり、系統で分けるなら諏訪系である。一方このころ亀戸がオメガの30mmなどを手本にスモセコ輪列の機械を試作したそうだが、世間で売れていたのは中三針であり、このスモセコ機械は世に出ることなく終わったと聞く。その結果Seikoは中三針の時計を発表し続けることとなるが、まさにGSの発表前夜、Seikoが初めて「高級時計」として売り出したのがこのロードマーベルである。
故に当時のSeikoの最高級時計であるため、Seikoの持てる力を出し尽くしていると言えよう。
文字盤のグレードの話であるがSD文字盤とは、14金(or18金)植字インデックスなど最上級のつくりであることを示している。なお当時のグレードは三種類あり、SDADEDとなっている。
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このような詳しい内容は全てトンボ本に書いてあり、それ以上のことを書けるほどの知識も経験も持ち合わせていないので、純粋に時計としてどう感じるか、といったところにフォーカスし、例によってつらつらと書いてみたい。
この時計を手にして最初に思ったことは、このデザインや品質は、当時のスイス製高級時計の文法を守っており、またそれらに十分比肩しうることだ。それは、
・針の長さが完璧(インデックス外周に届いているか否か、長短針の比率など)
・針のクオリティが高い(分厚いドーフィン、長針の先端が文字盤側にぐっと曲げてある)
・文字盤のクオリティ(ドーム形状、繊細な彫文字、14K植字インデックスなど)
23石と多石であり、マーベルと比べより磨かれたパーツ類を採用
・高精度な機械(実際にこの個体は日差+15秒程度である)
などである。
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ケース径約は約34mm、ドーム形状のプラ風防に加え、中庸だが工作精度の高いケースを持っており、メーカー名を気にしなければ、Geophysicや手巻きChronometre Royalなどと並べても引け目も感じないほどであるといえば言い過ぎか。
この時計の何に魅力を感じるかは人それぞれだと思うが、好き者はペットネームの彫り文字にそれを強く感じるだろう。パテックやバセロンの盛り上がったエナメル象嵌文字も非常に魅力的だが、この彫文字はまた別種の、格別な魅力を放っている。
この彫文字はこのあとSマークがなくなっても継続するが、GSが世に出てSeikoの最高級品の立場を退いたのと前後してプリント文字になっていく。ロードマーベルの最初期型が好事家に好まれるのは、このような背景を考慮すると理解できるところである。因みにSDマーク文字盤はGSファースト、GSセカンドの途中まで採用されるが、その後はGSですらADとなったのち、この文字盤上のマークは消滅している。
機械に関しては、直径25.6mmの本中三針の機械であり、マーベルの機械と比べても2番の受けや丸穴・角穴車の磨きなど細かいところが異なっている。またバランスコック上のひげ持ち押さえのネジが特徴的であるが、時代が進むとこのネジも省略されている。この機械の精度は特に優秀で、並み居るスイス勢を越えた記録などWeb上でも漁れば多数出てくる。
機械の全体的な見た目については既にセイコースタイルが確立されており、工業製品的である。逆に言うと戦前の懐中を小さくしたような、スイス勢のブリッジ分割のような詩吟は見られない。
 
私がこれまで少ないながらもある程度のコレクションを手にし、愛でてきたうえで気がついたことは、これこそが歴史である、ということだ。かといってだからこの機械がダメだというわけじゃないが、現在のGSまで脈々と続くセイコーの機械のアピアランスは、ここに原点を見る想いだ。
ここで言いたいことは、このロードマーベル際初期型には、当時の国産時計の立ち位置や実力が全て詰まっており、そこから当時のスイス製高級時計との関係すら推し量ることが出来る、ということである。
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当時まだ機械式腕時計はバリバリに実用品であったため、「高級時計」を打ち出す以上、高精度であることは絶対だ。そして時計の外観もスイス製高級時計に比肩するべきものとすべきであり、それはこれまでに述べたとおり、相当な水準で具現化している。
一方精度を追求するうえでは、熟知したこれまでの機械をベースに用いること以外の選択肢は、当時無かったと思われる。その結果がマーベルの25.6mmの機械(キャリバーナンバーなし)のリファインだ。これに諏訪は絶対の自信を持って臨む。しかし続く真の高級時計「グランドセイコー1st」では、25.6mmの機械を拡大し27.6mmのサイズで新設計(Cal.3180)しているのは、やはり大きな機械でこそ高精度かつ高級である、というイメージを具現化したかったのだろう。しかしながら機械の意匠という点では、マーベルもGSもほとんど変化無くセイコースタイルそのものである。そしてこの事実は、現在のグランドセイコーまで脈々と続くことになった。
すなわち現在のグランドセイコーは、外装は完全に高級時計そのものであり、GS規格の精度も素晴らしい水準である。しかし、やはり高級な実用時計なのである。この基本的な立ち位置は、実は50年代当時と全く、本当に全く変化が無い。
繰り返すがセイコーの考える高級時計とは、高級な実用時計なのである。そこには機械に対する審美性の追及という観点が、スイス製高級時計と比べて顕著に見られないのは、ロードマーベルがこの世に出た時代から変わっていないのである(その意味で彫金のクレドールは異端だ)。
 
こういう見方も出来る。ロードマーベルからグランドセイコー1stは当時、実用上の高級時計として本当に良くできていた。しかし高級な時計というイメージに対し、高級な実用時計である必要性よりも、実用性を担保していることを踏まえてさらに、時計というモノに対して畏怖の念を抱かせるというか、そのような圧倒的なレベルのものを求める人々はいたはずだ。
雲上三大が雲上である理由は、はるか昔から、時計士しか目にすることが出来ないにもかかわらず、法外な値段になることも含めて審美性に富む機械を作り続けてきたことに尽きると思う。しかし後進の国産時計が、それと同様のプライスタグをつけても売れるはずが無い。よって精度の追求へと舵が切られるのは、今考えても十二分に理解できる。この精神は脈々とGS規格へと引き継がれていき、さらにはスプリングドライブの根底にも流れるものと思う。
 
さて話が散らかったがまとめに入る。
これまでの論の逆説的ではあるが、高級な実用時計とは何か、という観点で、その時代時代の背景や価格などを加味しながらセイコーの歴代時計を見てみると、その系譜は非常に魅力的である。ここでトンボ本にまた言及するが、この本の素晴らしいところは、その時代の給料レベルなども記載してあるため、肌感覚で当時の販売価格から当時の価値を知ることが出来る点だ。
最期はステマのようになってしまうが上記のような理由も含め、われわれ日本人がビンテージ国産を楽しむにあたり、その系譜や時代背景を吟味する(日本人だからこそ吟味できる!)ことは大きな要素であり、この楽しみのためには、トンボ本は不可欠である。コレを手にした瞬間、好事家は国産ビンテージを入手せざるを得なくなる。

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