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2007年6月29日 (金)

SWISS MADE表記の話1と2

http://www.fhs.ch/en/news/news.php?id=540
を受けて6/28に決定した事項は次の通り。
http://www.fhs.ch/en/news/news.php?id=556

以下一部抜粋
With regard to the watch, the draft introduces a new aspect in the form of a value criterion. Accordingly, any mechanical watch in which at least 80% of the production cost is attributable to operations carried out in Switzerland would be considered as a mechanical Swiss watch. For other watches, particularly electronic watches, this rate would be 60%. Technical construction and prototype development would moreover need to be carried out in Switzerland. Raw materials, precious stones and the battery would be excluded from the production cost.

The Swiss movement in the existing ordinance already has a value criterion, namely the rate of 50%. Considering that here, too, the definition needs reinforcing, the draft amends these value criteria. For mechanical movements therefore, the rate would be at least 80% of the value of all constituent parts. For other movements, particularly electronic movements, this rate would be 60%. Technical construction and prototype development in Switzerland would also be a requirement in this case. The draft also stipulates other provisions concerning the definition of Swiss constituent parts and assembly in Switzerland.

ということで、ETA供給問題に関して微妙な問題だとしながらも、従来の基準すなわち「ムーブメントコストの50%以上がスイス製であること」から、機械式で80%以上、電気式で60%以上とより厳しい値となったこと(ただし原材料費、受石やアンクルなどのルビー類、電池は除く、とある)により、Swiss Made標記により特別な意味を持たせようとしているように見える。これは以前私がblogで展開した持論あるいは見通しと180度異なる結果であり、驚いたのは事実であるがこの結論は「大陸製を締め出すことによってスイス製を守る」という、極めて保守的かつ後ろ向きなものであったことに他ならない。

この結果を受けて改めて考えてみると、基準がゆるくなって大陸製機械大量投入により製造原価↓、儲け↑では無く、これではスイス時計産業は技術向上が著しい大陸にやられる、という危機感から守りに入ったと表面上は取れる。

しかし、こういう考え方も出来る。以下暴論である。
あくまで例えばの話であるが、従来300CHFのスイスムーブがあったとする。
これを原価100CHFの大陸製ムーブに取り替えると、スイス標記は出来ないが大もうけできるかもしれない。しかし、やはりスイス標記は入れたい。

一方現在の大陸事情はさらに進化しており、大陸製は生産技術も向上してコスト圧縮に成功し60CHFでできるようになった。(あくまで仮定の話です)
さて、この60CHFの大陸製ムーブをベースにすると、この原価の8/2倍である残り240CHF分のスイス製パーツを取り付けることにより、合計300CHFの新基準でもスイス標記のできるムーブが出来るわけだ。そうすると、240CHF分は高価なスイス製パーツを逆にくっつけられるわけであるから、スイスパーツメーカーの生き残りも出来る。それどころか従来トータルコスト300CHFに押さえるためにパーツの原価を抑えることを余儀なくされてきたのが、タガが外れてパーツメーカー大もうけになるかもしれない。

安価な大陸製ムーブを入れてパーツメーカーの儲けも従来より拡大し、そのパーツメーカーを傘下に収めるコングロマリットは相変わらず大もうけ、のような図式である。
トータルコスト50%を80%に上げることでより「スイス製の価値を高め、かつ伝統産業として守っていく」というように、誰しもが捕らえるであろう。後ろ向きとも思えるが、それでも「スイス製であること」の価値を高めようとしている意思は感じる。

しかし、私が上記に展開したような事象や思惑が存在するとすれば、これはものすごく頭のいい解決策であると言わねばなるまい。そしてその妥協点、スイスパーツメーカーの儲けと現在の大陸製ムーブの原価のバランス、そこから出てきたのがキリの良い80%という数字なのでは無いか、と疑っている。

そうすると本当にスイス製なのかどうかは、例のCASPなどを目安にせざるを得なくなる。
これはハイエック親父の案かもしれないし、どういう力がFH内、ひいてはスイス時計業界に働いているか分からないが、そんなことを考えさせられた6/28の発表であった。

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2007年6月18日 (月)

国産時計への勝手な思い

もう10年位前になるであろうか。時効と勝手に判断して書かせていただくが、栃木県で4輪の研究開発をしている某自動車メーカーで開発に関わる仲の良い友人から聞いた話である。

「セルシオの高級車としての完成度は凄い。あれは、本当に高級車を分かっている人が作っている。方や我々の同じセグメントに位置する高級車Lは、実態は我々のような若造が寄ってたかって作っている。高級車など所有どころかほとんど乗ったこともないようなメンバーだ。まったくイメージだけでつくっているかのようである。これでは、わが社らしく若々しい車は出来るかも知れないが、本来の目標である真の高級車は出来ない。これでは永遠にセルシオを超えることは出来ない」

これが、高級時計にそのまま当てはまると思ったのだ。以降は辛らつなので、できれば国内時計メーカー勤務の方々には読んで欲しくない。もし読み進めるつもりならその覚悟でお願いしたい。

国内の高級ラインの時計がある。これを設計している、あるいはデザインしている人たちと言うのは、直接的に知っているわけでは無いので全くの暴言であることを承知で書くが、本当に高級時計を実際に複数所有し、使っているという人はどの程度いるのであろうか?今のプロダクトから抱く個人的なイメージは、非常に少ないのでは無いか?

国産メーカーは、そもそも欧州の真似から始まっているのは誰も否定できないであろう。過去に素晴らしい時計も作っているのは事実であるが、往年の三大のような超高級腕時計と比肩するものを作ったことは過去一度も無い。この出発点がまず厳しいのである。スイスの三大や大手メゾンは、過去に実際に素晴らしいものを作っていたし、そのようなアーカイヴも大量にある。博物館に行けば歴史的なタイムピースも見ることが出来る。「高級時計」に限ったバックボーンが全く違うのである。この差は圧倒的だ。

そのような環境の中で、高級時計メゾンの社員はヴェテランから教えてもらったり、様々なアーカイヴと接することで本能的に高級時計の本質を見極め、身につけて行き、だからそのような高級時計を作ることが出来るのだと信じている。歴史と環境がそうさせるのだ。一方、ゾンビ系に関しても強力な「時計をわかっている」推進者がいれば、それは見事に帰り咲く。でも、欧州全体にあるバックボーンと言うか歴史と環境と、優秀な技術者の存在は絶対に必要不可欠だ。

さて国産時計を考えるに、私は別に欧州至上主義者でもなんでもないが、厳しいのは事実であろう。繰り返すがその差は圧倒的だ。欧州はそもそも「時計学」という分野が立派に成り立っていたので書籍なども膨大である。

さて特にSeikoに言えることであるが、ではその会社の持つ歴史とは何か?実は華々しいものを持っている。精度を追及する天文台コンクールでスイス勢を軒並み破り続け、はては廃止にまで追い込んだのはほかならぬSeikoという日本企業である。「高級」では無いが「精度」は抜きん出ていたわけだ。その後クオーツショックを自ら引き起こし、精度追求を意味の無いものに変えてしまい、今に至るわけである。現在の高級路線嗜好とはたしかに交える部分は少ない。このような歴史をうまく使って(作って?)広告するのは、欧州企業は非常に上手い。方やSeikoはお世辞にも上手いとはいえない。華々しい過去を知っているのは一部のマニアしかいないのが事実であろう。これは勿体無い。

閑話休題。

ある程度時計好きな買い手(マニア)は、時計をわかっている人が作った時計かどうかというのを本能的にかぎ分ける能力があると思っているし、それは逆にマニアではなく素人のファーストインプレッションのほうが頭でっかちでは無いため的確かもしれない。で、それが何なのかということは極めて感覚的なので、明文化することは非常に難しい。強いて言えば先ほど書いた「歴史と環境」だ。

では国内メーカーはどうするのか?手っ取り早いのは復活したゾンビブランドと同様に本当に時計をわかっている人をプロデューサーにするのだ。最終決定権を、大きな権限を与えることが大事である。

この文章には国内メーカーに「高級」時計を分かっている人はいない、かのような表現が並ぶが、実際はちゃんといるであろう。でも本当に権限のある人がそうであるかは大いに疑問であると言っているのだ。

高級欧州メゾンは決定権を持っている人も時計を分かっている人(最近はそうでも無くなっているような気もするが)で、また実際に作っている人も歴史と環境から本質的な高級時計を生み出そうとする、これこそがまたそのメゾンの歴史になっていくという好循環を描く。

一方、国内企業においては本質的な高級時計を分かっている人の割合はやはり少ないであろう。そして何より決定権を持つ人が、時計を分かっていない。これでは永遠に高級時計を作り出すことは出来ないのである。まさに10年前の某4輪メーカーの事象と同じでは無いか。

暴言陳謝いたします。(ただし強みは「技術」。これだけは明確に言える。)

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2007年6月12日 (火)

次代の潮流その2

クロノスイスのImperatorの解説を読んでいて、思いついたので書く。この近未来予想は当たるのであろうか?
さてSwiss Madeと標記できる出来ないの件は5/4のblogに書いたとおり。そして儲け第一主義のスイス時計産業が、東からの波によって駆逐されると言う近未来を予想した。

これのカウンターとなるのが、去年はFranckのTotally Switzerlandであり、今年はChronoswissのImperatorである。特に後者は、クロノスイス独自基準により"CASP" (Certified All Swiss Parts)標記を提唱している。
これがどういう意味を持つか。ラング氏は他のスイスブランドとは違う、という差別性を、この標記によって明確にし、区別しようとしている。これは時計好きとして納得できるところであるが、同時に経営者としても素晴らしい判断だったと言えるのではないか?と思う。

今の潮流を見てみよう。2chなどで言われた「ETAポン」という言い方。中身はみんな一緒。一緒じゃ嫌だから、差別化する意味で「マニュファクチュール至上主義」が生まれた。それにスウォッチグループのETA供給停止(2010年問題)が絡み、一気にマニュファクチュール化が進んだ。よく言われているように、ムーブメントの開発は一朝一夕では出来ない。とはいえ、CAD/CAMといったテクノロジーの進歩の恩恵を受けることは可能である。

しかし、5/30のblogにも書いたとおり、設計はまだしも生産段階における機械化は大規模投資であり、ペイするように生産するには規模の経済に頼らざるを得ないのが実情だ。故に売るために広告などの投資が増えていき、バランスシートは一介の時計メーカーらしくなく、大企業のそれになっていくのであろう。

話が飛んだので元に戻す。
マニュファクチュール化が進んだ先の差別はどうするのか?「マニュファクチュール」を謳っても、「全部スイス製」でもないかもしれない。またETA供給停止の話を受け、ETAは、蔑みから寧ろ「もう手に入らなくなる」といった危機感と、「スイス製」であるということから急速にETA崇拝(若干オーバーな表現だが)に移行しているような気もする。これはどういうことか?
Swiss madeの基準が緩和され、魔界製(大陸製)が増える。しかしムーブメントはスイス製じゃなきゃ機械式時計としての価値が無い、と考えるユーザが今現在も大多数であろう。そうなると、私の結論としては次代の潮流は「全部スイス製」だ。Swiss Made表記が神通力を失い、マニュファクチュールでも大陸製産すら始まるかもしれない。そうなったら「全部スイス製の」マニュファクチュールが最高に崇拝される時計で、次は「全部スイス製」だ。機械式時計の幻想は、「全部スイス製」に行き着くのである。
考えが非常に散漫になってしまったが、図に書くと以下のようなものか?
Casp

繰り返すが「スイス製のマニュファクチュール」が最強で、次に崇められるモノは「全部スイス製(CASP)」である。COSCなどでは無い。全部スイス製、これこそが次代の潮流ではないかと強く感じるのだ。

さて、また一気に話が飛ぶ。
ここに国産の、特にSEIKOの勝機はあると感じる。全部スイス製じゃない時計はもういらない、じゃ「全部日本製」は品質高そうじゃないの?というわけである。ジャパンメイドの価値を、世界中の人間の頭に刻み込まれたジャパンメイドの威光を最大限振りかざすのだ。

私はSeikoに提言したい。ここ2〜3年で「全部スイス製」至上主義の時代が来ると予見するが、その間に「全部日本製」の質の高さと独自のテクノロジーをアピールし、全部スイス製じゃない時計の受け皿として「全部日本製」という選択肢があることを猛アピールするのだ。そして、全部スイス製じゃない時計としての受け皿となるべきGSのシリーズ拡充を図り、変に考えすぎず、セオリーを守ったなかで独自色を出すようなデザインで時計を作りまくるのだ。それは、絶対にガランテでは無い。
そしてその時計には、「GS」「Grand Seiko」「SEIKO」と同じ事を三回文字盤に表記することだけを止め、針の長さに気を遣って欲しいと心から願う。
5/4のblogに書いた「東からの波」は勿論魔界製を指しているわけであるが、これにオーバーラップする大波を「極東から」起こして欲しいわけである。
いささか突拍子も無い考えかもしれないが信じる信じないは全く読者の皆様の自由である。さてどこか勇気のある時計メーカーは、私をコンサルとして雇いませんか(笑?

追記
クロノスイスは、あの超絶針は日本のメーカーが作っていることを知っている。(Nikaさんが言う近江精機かどうかは知らない)。でもImperatorは違うのであろう。
日本製は最高の針の一つとしてと挙げられる、と少し前から思っている。
クオリティが高ければ日本製でもスイス製でも私にはどうでも良いが、将来的に「全部スイス製」にこだわる余り質の高い日本製の針が今一なスイス製に置き換わっちゃったら嫌だなあ、と思う。

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