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2007年5月30日 (水)

オリジナルレベルソを見て思ったこと

某所で「オリジナルレベルソ」を見た。同時にOld Patekも見た。レベルソが大好物の私だが、オリジナルに魅力をあまり感じなかったのはどうしたものか?と自問自答した。そこから現在の時計というものが見えてくる気がしたのでつらつらと書く。
オリジナルレベルソは、オリジナルとしての希少性や、そのものの価値があることは間違いない。しかし、手間かけて作った時計と言う一つのプロダクトとして見たときに、Old Patekの方が手がかかっているのは間違いない。その差について、圧倒的なものを感じたわけだ。

時計の品質は、時代で変化するのは当然だが、その生産工程において機械にあまり頼ることが出来なかった時代には、手作業が多いほど素晴らしいものが出来ていた。これはほぼ事実であろう。しかし近年では、機械の性能向上が著しく手作業よりも機械に任せたほうが素晴らしいところ、が増えているのが事実で、かくして時計はマスプロダクトにどんどん近づいていっているわけである。

ラインに機械を入れると言うことは、品質の(安定性)向上と増産を期待しているということである。機械を入れるには、プロダクトをそれなりに大量に作らないとペイしない。故に、さっさと減価償却して儲けを生み出すべく、増産計画を立てるわけである。ラインに一つの機械を入れると、従来はバランスされていたどこかの工程で余裕が無くなり、その工程にも機械を入れるかという話になり、かくして工場には最新の機械が並ぶようになる。売れている、あるいは儲かっているメゾンはどこもそうであろう。かくして大手メゾンはどんどん機械を入れ、その結果品質は安定する。それは良い事である。

しかし伝統的な手作業による仕上げによって出来た時計をユーザが求めている場合、本当に求めているようなものを手に入れることが出来たのかどうかは疑問である。当たり前であるが手作業と機械作業のバランスが大切で、手作業比率が多いほど一般的に品質は高くなり、値段も高くなる。
時計メゾンは多かれ少なかれ上記のようなバランスのもと、プロダクトを作っている。大手コングロマリット傘下にあるメゾンほど、機械生産率を上げて原価を抑え、安定した品質の時計を大量生産することによって儲けを増やそうと努力しているだろう。それが良心的かどうかは別問題として。

私が好きなJLCも、毎年のようにラインに機械を入れている。すなわち、去年まで手でやっていた仕事が今年の時計では機械によって仕事がなされている可能性があるのだ。だから、ある時点時点でプロダクトの質感が微妙に変化しているのは当然である。

断っておくが機械・手仕事それぞれには向き・不向きがあり、適材適所使い分けることが悪いとは全くいっていない。またその適材適所の分水嶺が機械の性能向上とともに変化していくのも当然だ。

ただし高級機械式時計は「手仕事である幻想」を抱きがちなプロダクトであることは疑いないであろう。さてそうやって考えた場合、Patekなんかは当然手仕事を残す比率がJLCよりも高いであろうが、同じような傾向をたどっているのは事実であろう。大量に売りえないコンプリケーションのみが、ほとんど手作業の従来の作り方を踏襲する。よって、3796までは針も超絶だったものが、どんどん機械化比率を上げた結果、超絶針は永久カレンダー以上を買わないと手に入らなくなった。これが今のパテックである。3940の硬質なアプライドインデックスと5140のダルなインデックスを比べて欲しい。5140の針は超絶でも、文字盤はすでにヤヴァイ気配が漂っている。

昔のPatekは最高であった。40年代くらいから60年代前半まで、3大メゾンはすべてそうだった。同じような作り方をして、同じような手間をかけたプロダクトを生み続けていたのである。しかし今のプロダクトは、経営者の良心がそのまま現れているとも言える物である。本来は時計師の腕やロマンを感じるべきものなのに!(そのように広告しているでしょう?)

さてJLCである。エボーシュメーカーとしてJLCは、伝統も技術もあった。故にものすごく素性の良い機械を作り続けていた。冒険した時計も多く、それがJLCのメゾンとしての魅力でもあった。しかし超絶エボーシュは三大に納め、自前の時計はそれなりの機械であるバランスを持って時計作りが為されていた。故に、昔のJLCは三大と比べると明確に格下であった。オリジナルレベルソとVintage Patekを並べてみれば、それはもう一目瞭然である。「レベルソ」という時計は、今のスクアドラとかXGTは機械化比率が大分上がっているのと、デザインそのものも魅力無く思える。

JLCが91年にレベルソ60周年で完全復活したあとの90年代から2000年代前半までが最高だ、というのが私の、あくまで個人的な見解である。ポルシェみたいに最新が最良、になり得ないのが、時計の難しいところか。
最新が最良の時計は、新進気鋭の独立系かほとんど趣味で作っている時計師くらい、というのが現実であろう。

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2007年5月16日 (水)

今年の新作で心に残ったもの

LatraditiontourbデュオメトレとLABは書いたので、あと2つほど。
一つは、Breguetトラディションシリーズの究極形であろう、La Tradition Tourbillon。スースクリプションの見た目にフュジーの組み合わせは、まあ本来はあまり見ないものであろうが、いずれにせよ狙った年代の意匠とは良くマッチするものであり、非常に美しい。これにブレゲ(レマニア)お得意の渦巻きを組み合わせることでフュジーによるトルクの安定に基づく等時性の確保と、姿勢差を無くす、ということで腕時計としての理想形を追求している。このコンセプトが一目でプール・ル・メリットと同じものだと気がつく人は多いであろう。あれも凄いがこれも凄い。フュジー大好きな私としてはただ単に拍手喝さいである。しかしながら、全く現実的では無い価格設定になるのはまちがいない。渦巻きを無くしてフュジーだけの三針ってどうだろう?かなり良いのでは無いか?また渦巻きではなく、デテントを組み合わせたほうがより私としてはツボにはまる。コンセプトはランゲのパクリかもしれないが、スースクリプションに起源を置くBreguetならではの違和感の無さでこれを作ってしまったのはさすがである。しかしこのサイズのチェーンを作る技術はどこから復刻されたのであろう?
1966calendarrga
もう一つは、意外かも知れないが、GPのトリカレムーン(Vintage1966)である。今時の時計とは思えない、トリカレとして王道のデザイン。外装パーツの隙の無さ。変態モデルばかり見慣れてしまったせいか、本当にこのようなクラシカルなモデルが清清しく見える。ああ、こういう伝統的な、機械式時計として極めて真っ当な時計と言うのは、やはり素晴らしい。昨年出した三針もかなり好みではあったが、こちらのほうがより魅力的である。実に素晴らしいデザインだ。理想的にはセンターセコンドでは無くスモールセコンド、ポインターデイトであろうがいいモノはいい。
 機械式時計らしいデザインとは何であろうか?ただ単に機械を表から一部見えるようにすることか?いやそうではなく、伝統的な、機械として実現可能であり理にかなったデザインはやはり存在する。例えばデイ・マンスのギシェの位置は、カレンダーディスクがあるべき位置によって決まってくるし、そういったものが当たり前に再現されていることが伝統的な、機械式時計らしいデザインと言えるのであろう。あまりに奇抜なものが多い中、GPのデザインは久しぶりに見た安心感に満ちたものであった。

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2007年5月 6日 (日)

海外でも注目され始めたオーダーメイド時計

というわけで高価格になりすぎた時計に対する新たなる動きとしてここ なんかでもあるようにBespoke Watchは明らかに次の潮流になると思う。ここではBlancierと121timeがリンクされているが、ヘンチェルさんとかゴレイさんとかがこの上のクラスになるわけであろう。
前述2社のサイトではまさにパターンオーダーのように組み合わせて時計が出来るが、下手をするとクレリックのボタンダウンシャツを作ってしまいかねないこともあろう。
注文時計の世界は非常に奥が深く、注文主の時計に関する奥深い知識としっかりとした好みの軸があること、それに作り手の技術・好み・軸が呼応した状態になってはじめて最高の時計が出来るとの思いは変わらない。

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2007年5月 4日 (金)

スイス時計産業バブルを考える

今まで何度も書いてきたようなことであるが、某店の社長のお話を聞いて、普段思っていることや時計好きの仲間から聞く情報などがラインとして頭の中でまとまってきた。将来の予言も含めて、備忘録的に書く。

「スイス時計産業バブル」が言われはじめて数年が経つ。何年か前、関税額が引き下げられて100万の時計でも数十万も値段が下がったことが信じられない。そして今、その引き下げ額を吸収したことは無論、さらに時計の定価は高くなった。まるでバブルである。

しかし、売れているという。私は「格差社会」などと世間もマスコミで騒がれているようなことを何も考えずに言うつもりは無いが、富裕層には相変わらず使い切れないほどのカネがあり、その使い道の先に機械式時計がブームとともに大きくクローズアップされているのは事実だろう。ちなみに「格差」は昭和30〜40年代の方が今の数倍大きかったというデータがあるらしい。

そして今やたらと高い油価などから、そのオイルマネーが中近東にうなっているとともに米国共和党にからむメジャーがその利権を良いことに利益をむさぼっているのは想像に難くない。さらに米国は、「アジアやヨーロッパで作った商品を消費する国」として、主に金融経済で富を得てきた。たしかに自国の第二次産業は誰が見ても斜陽で、またそれを政治的には関税や輸入のコントロールをして表面的に保護しているような政策を適当に打つが、消費者にとって魅力的なものしか売れないのは自明で、故に米国民もトヨタ車に乗りたがるのである。自国/欧州はすでに経済が発展し、これ以上の利益を望めないので米国の覇権を徐々に縮小し、第三国の発展を促してそこでまたマネーを得ようと画策している流れもあると聞く。シオニストやらネオコンやらの話は私には全く専門外だが。

時計の話から大きくそれたが、マネーはあるところにはある。そして特にバブルで得たカネは、こういった高額商品に流れがちである、と聞く。その矛先の大きな一つが高級機械式時計であるということだ。

今の世界経済について語るタマではないが、米国住宅バブルは崩壊寸前で、米ドルは中国が米国債を買い支えているから水準を保っている状態である。中国の発展はこれからの世界を想像するのに最も重要なことであるが、この中国の覇権がどんどん大きくなっている今、「米国債はいらねーよ」と言った瞬間に世界の基軸通貨の役割を果たしていた米ドルはその地位を追われ、ユーロ、円(というよりアジア版IMFによる基軸通貨?)が世界の基軸通貨となるであろう。

ロシアもKGB時代にドレスデンに勤務していた(すこしでも時計Blogネタっぽくわざわざこんな話をしているわけで〜当時はGUBなんか腕にしていたのではないか?)というプーチン首相のエネルギー囲い込み政策が功を奏し、大きな影響力を獲得している。そして米ドルの下落に始まる世界不況が起きるとある割合の経済学者は言っているようであるが、私もそうなる気がしている。

そこで、世界不況が起きたときに、どうなるか?もはや高級機械式時計を買っている場合ではなくなるのではないか(シンガポールや産油国は別であろうが)。そして特に日本はスイス高級メゾンから見て、近年とみに市場として相手にされなくなっており、米国/欧州/中近東がメインと聞く。ここで世界不況が起きたらまず最大の顧客である米国市場はダメであろう。ここはリシュモンなどのIR資料を見ても、アジア市場特に日本は軽視されてきているのが分かる。アジアよりも米国や欧州のほうが成長率が高く、日本だけ横ばいのような状況だからだ。

さて、スイス時計産業はここ数年どうなってきたか?世界で余ったマネーを消費するべくラグジュアリー化、差別化、大型化、そして高価格化、高級化(何を持って高級というのだろう!)etc.という路線を突き進んできた。

ここでキーパーソンはやはりZenith率いるナタフ氏である。
彼のやり方は単純明快だ。マニュファクチュールという催眠効果/陶酔効果のある呪文を使い、デザインを派手にして高級(そう)にシフト、価格帯を2〜3倍にするとともに派手な広告/イメージ戦略、派手なパーティー、自ら(ルックスや育ちがいいのをよく知っているのねこの人)広告塔となってメディア露出、と巨大コングロマリット傘下に入った大手メゾンが今やっていることを、全てスケールを大きくして先取りしてやったのがナタフ氏であると思うわけだ。

かくして現行Zenithは、ナタフショック前のラインナップから見てもまるで同じメゾンとは思えないものとなった。ナタフ氏は「エルプリの価値を引き上げる。そのために外装やデザインも高級にシフトする」とか言っていた記憶があるが、例えば今のデファイのケースやブレスの磨き・面出しなど、マンフレディーニ氏時代よりも酷いものとなっているのが実態である。エクストリームのダイヤルにある扇風機パーツ、あれは田宮のプラモデルのほうがよっぽど精巧だろう、と思えるほどあり得ないクオリティだ。1000超えるトゥールビヨンにも使われていて全く正気の沙汰ではない。はっきり言うとこのクオリティにこの値段、全く異常だ。

しかし派手な外観と存在感から、いかにもバブルマネーを吸収してしまいそうではないか。同じことがロジェにも言える。今やフランクを抜いて時計屋に戻ってくる割合ナンバーワンとも聞く。同社を代表するシンパシーのライン。出た頃は複雑な形のケースに、同じ形のダイヤル・風防をはめ込んだ手間のかかるものであった。今のシンパシーはなんと丸い風防である。手抜きと取られても仕方あるまい。時計としてどちらが魅力的かは一目瞭然であろう。

極端な例を出したが、良心的か儲け第一主義を出しすぎているかはメゾンによって差はあれど、大くくりにすれば同じベクトルを向いていると言えてしまうのが現在のスイスメゾンであろう。

そして聞いて衝撃的だったのは、詳しくはここには書けないが、ダイヤルに「SWISS MADE」と表記する条件を、現在でもユルいのに(魚沼で精米すれば全部魚沼産になっちゃうコシヒカリと同じだなこりゃ)、さらにユルくするという。その目的は何か?もちろん、ここ数年非常に台頭してきた大陸性ムーブメントを使うためである。Totally Swizzerlandはもはや幻想で、あの時計を出したフランクは皮肉たっぷりだけど良心的かもしれないとすら思ったわけである。

さらに、さらにである。スイスの技術者の大量流出などにより、大陸性のムーブメントのクオリティは恐ろしく上がっておりすでにミニッツリピーターまでラインアップされているわけだ。質が上がって原価が安いとなればスイス製ムーブメントを使う意味は無い。しかし文字盤の「SWISS MADE」は無くてはならない。さていったいどういうことになるのであろうか?

69年に始まったクォーツショックと同じことが、また東からの波で起こるのだ。
そして結局自分の手で自分の首を絞めてしまったことに遅ればせながら気がついたスイスメゾンは、悪どいことをやってきた方から自滅して行き、淘汰されるのだ。歴史は繰り返されるのである。

注)ここで展開した持論は、全てレベルソ好きが好き勝手を書いただけであり、スイス時計を愛する一時計ファンとして警鐘を鳴らしたいだけであります。

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