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2006年6月23日 (金)

独逸小工房へのオーダーの楽しみ

2本続けて時計をオーダーする楽しみを味わったが、それについてなんとなく最近思ったことなどを記す。

Hentschelさんは、普段はVintage時計を売りながら、主に週末ほとんど趣味で時計を製作している。現在お弟子さんは二人。最近は少しは売る気が出てきたようだが。
Benzingerさんは彫りが本職で、Basel前はかなり忙しい。あちこちのメーカーの対応をしているためである。家族のみで仕事をしており、業容拡大や弟子を取る気は今は無いようだ。

両師とも、頼むと出来ることならなんでもやろうと努力してくれる素晴らしい時計師である。しかし、彼らの懐というか趣味というか、そういうものを尊重することも大事なことだと思う。
例えばHentschelの時計を買うのは、自分の好みにカスタマイズしてくれることに価値を見出すことが大きな要因であるのは間違いないが、ここのメゾンを好きになるということは、このメゾンのハウススタイルを尊重することと同義なのではないか?ということである。
スーツに例えて言うと、たとえばアメリカ系のテーラーに生粋のブリティッシュを作ってくれ、といっても、対応してくれるであろうが多分それは店主の好みでは無い。逆に基本的な形と生地を選んで、あとはそこのハウススタイルで作ってくれと言えば、店主は喜んで得意のスタイルで誂えるであろう。どちらが好きか、どっちのほうが幸せになれるか?という観点で言えば、私は後者なのではないかと思う。
私の時計は、まあうるさくお願いはしたが、針もダイヤルもケースも基本的にはデフォルトで、ただ好みに組み合わせただけであるし、機械も標準のものを少し私の好みにしてもらっただけで、これも彼の「標準作業の範疇」である。出来上がったこの時計は紛れも無いヘンチェルというメゾンのハウススタイルそのものであり、ヘンチェルさんも「今までに作ったH1の中でも最高に気に入っているうちの一本」と言っていただけたことが私の中でも非常に嬉しいわけである。いわば、作り手の好みと使い手のそれがシンクロしたわけで(Christianeさんの言葉を借りて言えばWe are harmonisedということ)、この状態こそが最もお互いが幸せになれるものと思う。そのために私は「解脱時計」という言い方をしたのかもしれない。この作り手と使い手の思いが時計を通じてHarmoniseすることこそが、オーダー時計の究極の幸せ状態なのだと私は確信する。

Benzingerについても、これも彼が作りたいように作った奥様へのプレゼント時計のSSバージョンであり、彼のハウススタイルを尊重したものだ。注文つけたのはケースをSSにすることと針をブレゲ(これもデフォルト)に、あとは妻のイニシャルを彫ってくれ、ということくらい。彫り師にイニシャルを彫ってくれなんてのは全く朝飯前のはず。そういえば最後に彼が「聞き忘れたけど竜頭はオニオンにするかい?それとも普通の?」とメールしてきたので「オニオンで」と返答、これで全てである。

どちらのメゾンも、自分でやっていることに領域がある。例えばHentschelさんはケースは外注であるが、自分で削って好みの形に仕上げている。そのためある程度細かい注文に応じることが出来るだろう。ただし現在のケースの形状は、彼がこだわって作り上げてきたものなので抜本的に違うものをお願いするとなるとそれは受けられないことも有るであろう。またダイヤルは当然外注で、自分で仕上げることはしないであろう。そのような作業は外にお願いすることになるが、注文主の意向(例えば文字盤の色とか意匠とか)がワンクッション置くことにより正確に伝わらなかったりする可能性もある。その試行錯誤の段階で、間に入った時計師は、試作品のやりとりなどで相当のエネルギーを費やすであろうし、コストも上がってしまうだろう。並行して複数の時計を作っているだろうから混乱するかもしれない。そういうことをやっているより、簡単に時計師の好みの文字盤をセレクトしたほうが良い結果になることのほうが多いのでは、という感覚である。そして時計師自身がやっていることに対する注文、例えば機械のストライプの入れ方だとかはダイレクトに伝わるし何とでもなるであろう。こういうところは細かく指定しても比較的容易に対応してくれそうだ。

Benzingerさんもケース、針は外注なのであまり細かいことを指定するのは酷であろう。その代わり文字盤や機械の彫りはいくらでも対応できるため、ここのカスタマイズを期待するのがここの時計の真髄だろう。当たり前のことであるが、ここの押さえがツボである。

全ての時計に、完璧なものはない。どれもこれも、もう少しここがこうなっていたら、と思うような箇所は必ずあるはずである。しかし、そこが値段と比べて許せるかどうかという話なのだ。そしてその「ちょっとここが」を好みに是正することまで受けてくれるところはかなり少ないのではないか?(思いつくのはゴレイさんのところとか?)そしてそこまで望むなら、それをキャパの範疇としているメゾンに頼むべきであろう。そういう細かい注文までもハウススタイルとして吸収しているところに。そして最終的に数百万円を払ってそれを手にしても良いであろう。しかし、HentschelやBenzingerはそういうメゾンでは無いと思う。
これからオーダーされる方のご参考になれば幸いである。

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コメント

確かに・・・魂というか精神性を伴うものを買うならば、この場合は職人気質的なものでしょうけども、その精神性を尊重すべきであって踏みにじってはならない、ということですよね。

ありものの平ヒゲエボーシュで作ってるのに、ブレゲヒゲ希望、とかやってみたところで、その作業に見合うだけの対価について考えが及ばないのであれば、それはその時計師さんに対して失礼なだけでは、だなんて日々思ってますが、意匠の面で類似する話となると、その時計師さんの嗜好に大筋でも方向性が一致していない注文をするのは侮蔑に近いものがあるような気もいたします。
デュフォーさんにシンプリの中身でフランクミュラーな顔の時計作ってほしいとはたぶんいいにくいわけで。

かといってお金さえ積めば1から100まで完璧に好みに合わせて作ってくれるんでしょ?的なのもちと下品かなとも思いますね。
その一方であるだけお金出すからあなたが考える最高の時計を作ってください、ならまだ共感できる部分もあるかなとか。

投稿: alpaka | 2006年7月 2日 (日) 22時35分

コメントありがとうございます。
マスプロダクトではない個人の時計師の作った時計は、その時計師の分身であり子供であるわけですね。
デュフォーさんのたとえはその通りで非常に分かりやすいです。
ま、突き詰めていくと時計師とオーダー主の魂や精神性の話になっていきますね。

投稿: レベルソ好き | 2006年7月 3日 (月) 22時27分

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