2020年3月 9日 (月)

セイコーの新製品

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今回のセイコー新製品の一番大きなトピックは、なんといっても新GSハイビートの新ムーブメント9SA5であろう。既にプレスリリースを基にした紹介記事や解説記事をWeb上で見ることができるため、興味をお持ちの方々は既に十分に読み込まれていることと思う。

この機械の見るべきところはまずもちろん新型脱進機である。デュアルインパルスエスケープメントとあり、一般的なスイスレバーと大きく異なる。ぱっと見コーアキシャルのようにも見えるが、これはデテントの発展形だ。延長線上にロビン改のAP脱進機があり、そしてこの脱進機があるとみる。脱進機はごく単純に言えば、効率の追求とエラーのせめぎあい、それに作りやすさの3軸があるとの認識で、効率という観点からはスプリングデテントが一つの理想である。しかし自己スタート機能がない、外乱に弱い等の理由で主な用途はマリンクリノメーターだ。これを腕化すべく各社はトライアルを続けてきたが、今回セイコーがこれをモノにしたことは非常に大きなエポックと言える。LIGAプロセスによるシリコンパーツによってこの機構が実現したことは疑いない。肉抜きされ軽量化された非常に精密なパーツ群だ。ただしシリコンパーツの好き嫌いはあると思う。セイコーのような巨大企業なら、今後このムーブメントもパーツも量産していくだろうし、倒産リスクも少ないだろうから、将来的にこの機械を維持できるとは思うが、無からこのパーツを作るとなると小規模ではほぼ不可能だろう。

二つめのポイントは自動巻きだということである。少なくともこれまでは、このような新型脱進機を備えた時計の初作は手巻きが多かった。しかしセイコーはこれを自動巻きにした。それもダブルバレルの80時間パワーリザーブと、最近の3日巻きトレンドをやや超えてきたところが、次世代を睨んでいる感を強く醸し出す。

三つめのポイントは、天真の縦アガキをファインアジャストできる両持ちのバランスコックを備えていることである。このような機構は過去あったのだろうか。アイディアとしては思いつくので懐中にありそうな気がするが、量産型の腕時計の機械で装備しているものは思いつく限りでは初めてだろう。新型脱進機採用に当たり、何らかの課題の解決策に違いない。ガンギを開放する際は問題となる衝撃は発生しないが、通常の振石ではなく、もうひとつ加わった振り座の爪石で受ける衝撃はそれなりにあり、支える天真のほぞと受け石の関係が特殊で精密な調整が必要なのかもしれない。さらに天真の横異動を嫌ったことが巻き上げヒゲ採用の所以かもしれない。最初から巻き上げヒゲありきではなく、解決策の一つが巻き上げヒゲなのではないか、という勝手な想像。いずれ技術的なことが明らかになればこの真意も分かってくるだろう。ともかく単純に面白い機構だな、と思った次第。

次に見た目について記す。ぱっと見では、これまでの9S系よりも大きく仕上げも見た目も向上させたな、というのが第一印象だ。それと同時に、どこかで見たような意匠だな、という感覚も湧き上がる。ローター周りはドイツ系(Zeitなヴィンケルとか)、ブリッジの分割センスもなんか見たことがないだろうか。バランスコックの調整青ネジがでかくてこれは目立つ。ただし馬鹿穴はほとんど見えない。これまで見たいろいろな機械のハイブリッドのような印象である。セイコーとしてオリジナルのものを作り出すのはなかなか難しいとは思うが、もう少し芯というか軸があってもいいのでは、と思った次第。叡智の延長線上のデザインルールはほぼ無いし、ロードマーベルから3180と続く古のテイストも無い。ただし個人的にテンワのデザインは好きである。まあぶっちゃけ言うと機構は凄い。仕上げは高級機械としてようやく水準に達した(写真ではJLC同等レベルか)が、デザインは刺さるものはない。そんなところか。

さてようやく外装に移る。これは完全に個人的な趣味になるから主観が人によって違うのは当たり前。そのうえで個人的な感想を書く。一言でいえばこれまでのセイコーのデザインがアクの強い方向に進んで爆発してしまった感じ。最近のトレンドであるエレガンスコレクションを今回もそれなりの価格で出していることもあり、それとのバランスでこちらは力強くいこうという魂胆はあったものと想像する。しかし12時のインデックスなど、何故ここまでにする必要があるのか。ひたすらに分厚さを出している針はどうか。仕上げは文句ないだろうが、その前のデザインの段階で、正直欲しいと思わせるものはない。YGのケースと、ややグレーかかった文字盤の色のバランスは悪くない。写真映りでずいぶん印象が左右されるところであろうから、ここは本物を見てみたいところである。

当然グラスバックで機械が見えるわけだが、これを閉じてしまうという判断は、まあ無いだろうな。で450万円なり。国産機械式時計の完全なる新たな1ページを開いたのは疑いない。ただし製品としてほしいかと聞かれれば、この値段出して買う時計ではないと思う。競合が多すぎる。でも世界には凄い人たちがたくさんいるので、あっさりと売り切ったならばこの価格は妥当だったのだろう。売り切るかどうか非常な興味をもっている。

それと、この機械は次世代のGSのベースになるものだ。今後リファインまたは簡素化されつつ様々なモデルに積まれてくることが予想されるので、次年度以降の展開には大いに期待したい。

長くなったが次。GSエレガンスコレクション。まあ高いわな。この価格なので競合多数、これも売り切ることができるか。売れなくなる(上げ方向での)限界価格への挑戦を継続中。それこそが市場価値なので、買う人がいる限りどんな値段を付けようがメーカーの自由。

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一番書きたかったのが実はダイバーについて。この三部作、外胴以外はケース素材の違いと、文字盤カラーを変えただけのリニューアルだ。価格も相当上乗せされている。こういう限定が2~3年スパンで出るということに対して、ただ「売りたい」というメーカーの気持ちしか伝わってこない。今回は3180改め6180というファーストレプリカも出たが、これこそ最たるものである。これまでGSファーストは復刻されてるごとに売り切っているので、何度でも狙いたくなることは「メーカーの心理として」理解できる。しかしコレクターにとってみれば、ほしいと思っている時計の復刻が出たとしても、いつ買えばいいのか疑心暗鬼となる。決定版は何なのか、これなのか、違うならいつ出るのか、いつになっても決めキレずモヤモヤするのである。今回の62MASは8L35から55ハイビートに、ケース素材が変わってプラス30万円。68ハイビートはケース素材が変わってプラス15万円。前の価格を知らなければ検討・購入する人もいるだろう。ただし特にセイコーダイバーは根強いファンがいるジャンル。彼らの多くは完全に置き去りだと思うけど、1100本オールが売れるのかどうかこれも非常に興味がある。ブルーグレーの文字盤についてはこれも個人的な趣味なるので感想は特にないが、手持ちの3年前の62MASのグレーダイヤルは非常に気に入っている。

最後に6180。No Limitとのことで、限定ではなくカタログモデルのようである。プレミアがついた前回のSSモデルを意識してか、SSは出さずにチタンが出てきた。前回との違いはグラスバックになっていることくらいか。これによって必然的にケースバックのGSメダルが無くなった。これでGSファーストの復刻はたぶん4回目だと思う。3年前の復刻時にケースサイズが38mmとなり(その前の2011は35.8mm、オリジナルの3180は35mm)、今回も踏襲している。機械を自動巻きにしていないのはポリシーを感じて良いと思うところ。クオリティはSeikoそのもので十二分と思うが、ケースバックから9S64を見たいと思うかどうかは人それぞれである。これまでの3回はいずれも数量限定復刻だったが、今回は息の長いモデルとなるのか。ただし価格について、今回のYGは280+税。たしか2017は180+税だった記憶があるので今回はずいぶん強く出たな。完全に三大と比肩する価格であり、手巻きと考えるとむしろ高いかも。価格上昇はナタフショックのレベルでは。

こちらもお手並み拝見である。

 

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2020年2月 4日 (火)

1972年

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 この年は時計業界において重要な年であった。それは後年「ラグジュリースポーツ」という一大カテゴリを築くことになるその礎、ロイヤルオークが発表されたからだ。ただし「ラグジュアリースポーツ」などというカテゴリは21世紀になって形成されてきたものであり、その当時の立ち位置は現在と異なるものであったことは想像に難くない。なにせロイヤルオークのような時計は、それまで存在しなかったのだから。

 ここで1960年代後半の時計業界を俯瞰してみよう。新しいテクノロジーを用いた機械式より正確な時計が模索されており、クロノメーターコンテストは消滅の危機にあった。β21とクオーツアストロンの競争はセイコーが一歩先んじてクオーツウォッチを市場投入し、機械式時計は徐々に駆逐されていく運命をなんとなく業界全体が感じ始めていたと想像している。そのなかで特にヒエラルキーの上位に位置していたAP,PP,VCはハイエンドで展開していかざるを得ない。むしろここはクオーツに浸食されない可能性が残っていた。

 60年代に機械は手巻きからほぼ自動巻きにスイッチしていたし、「高級」の代名詞は「薄型」へとシフトしていた。そのなかで69年に現出したJLCの920は、まさに高級機械式腕時計にうってつけであった。手巻きの機械も同時に薄型化し、215や9Pなどが世に出ていたのである。特にハイエンドの機械式時計は、複雑モデル以外の多くが薄型2針または3針で、革ストラップが主流ではあったものの60年代後半からラグ無し、メッシュブレスがロウ付けされたモデルも多数ラインアップされることになる。

 時代考証という観点では、時計というプロダクトは特に高級になればなるほど現存しており、数十年程度さかのぼるのは容易い。そこで本エントリのタイトルである1972年を迎えるにあたり、1971年以前に製造されたもののラインアップを想像してみれば、当時どのような業界だったか容易に想像できるのである。すなわちヒエラルキーのトップランクで市場に展開していたものは、薄型2針・3針がメインであった。

 ここで突然出現したのがロイヤルオークである。スチールなのに他のゴールド製薄型に比肩するプライスを引っ提げての登場。ただし特徴的なのはこのロイヤルオークも7mmと、当時の薄型時計と比べて全くそん色ないレベルの薄さであった。すなわち薄さイコール高級だったのだ。ブレスも今の基準では明らかに薄いが、本体とバランスの取れたものであった。本体と一体化したブレスのデザインは、今でこそ当たり前かもしれないが、当時はまさしく画期的であっただろう。そしてこのロイヤルオークは、これまで書いてきたような時代背景を踏まえると、私には「ラグ無しメッシュブレスの一連のゴールド製2針」の延長線上に見えるのだ。

 カテゴライズなど無意味であることは百も承知ながらあえて書くと、初代ロイヤルオークは、スポーツウォッチではなく、(やや日常に寄った)ドレスウォッチである、と断言できる。そもそもJLC920入りの薄型時計でスポーツするなど考えられない。ただしデイト付きなのは日常使用を想定している。想定されるロイヤルオークのオーナーは、当然のように他にも時計を持つ。そのなかのノンデイトドレス2針(Golden Ellipseなどをイメージしている)は、普段は止まっており、ディナータイムやカクテルタイムにぜんまいを少し巻いて適当に時間を合わせて使う。なにせインデックスも5分刻み程度が多く、およそ厳密に時間を知ろうなどという意思で着用されるものではない。そしてそれ以外の時間帯はロイヤルオーク、そんな使い方がイメージされるのだ。

 その後に続く3700も222も、オリジナルはペタペタの時計である。これらは薄型自動巻きの名機920が世に出たタイミング・時代背景、そして(222を除き)ジェラルド・ジェンタという稀代の才能が業界にいたからこそ、この世に生み出された時計だ。

 それから50年近くたって異常な人気となることなど、生み出したジェンタ翁は考えもしなかっただろう。ただしこれらの位置づけは当時とかなり異なっており、現在のラインアップはそれをよく反映している。かつてのドレスウォッチとしての出自を隠すようにケース・ブレスとも厚くなり、そして多くの人々が熱狂する時計に育ったのだ。

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2019年11月 5日 (火)

要望叶わず >> APによる旧製品のメンテナンスについて

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機械式時計の維持には修理やオーバーホールが欠かせない。気持ちよく使い続けるためにはアフターサービスが非常に重要である。時計に法定点検などの義務はないものの、アフターの重要性は自動車業界に近いのではないかと感じている。家電業界レベルではとうていおぼつかない。

時計に限らずモノとは、購入フェーズはその一瞬であるが、維持管理は所有している間ずっと続く。新品購入したモノは、アフターについても暫くセールス担当は面倒を見てくれると思うが、いずれ居なくなったりするし、維持管理フェーズにおいては、ホールセール担当の印象などはどうでもよく、アフターをどこに任せるか、が重要になる。すなわちメーカー純正修理か、修理専門会社にお願いするか、である。ただしこれらは明確に二分されるものではなく、純正修理を市井の修理会社に任せているメーカーが大半であるため、実際にはグレーとなる。ただしそのメーカーとの契約内容は厳密であり、パーツの横流しなどがバレれば非常にまずいこととなる。なお国内修理部門や国内修理会社に任せられないような特殊な修理については、本国送りになるのが常である。

さて修理会社を選ぶときの実際は、時計師さんとの信頼関係構築が重要となる。(現在の環境は、ありがたいことに個人的には非常に満足している。)しかし、純正パーツが以前のように市井に出回らなくなっており、純正パーツの交換がマストな修理は時計メーカーの修理部門にお願いせざるを得なくなってきた。このような場合、時計師さんとのリレーション構築は希薄になるし、関係構築する以前に”会社の方針”がほぼ確実に立ちはだかる。そして修理の対応に関しては、会社の方針や取り決めと、対応いただいたフロントマンが印象のほぼ全てとなる。

ただ印象などはこの際どうでもいい。大事なのは(するかしないかも含め)仕事の内容と結果であり、その時計を調子よく維持でき、普通に使い続けることができるか、ということに尽きる。繰り返すがメーカーとしての対応の幅(出来ること、できないことなど)は会社の方針や取り決めによるため、メーカー修理の印象は、そのメーカーとの信頼構築そのものになる。ただし一方でどんな世界でも特別扱いが存在するものであり、VIP顧客はその融通の幅が広がるし、面倒な依頼をする末端顧客ほど対応は塩っぱくなる。以下に記すのは後者の典型的な例である。

ロイヤルオーク4100STのメンテナンスに難を抱えている。当初この時計を手に入れた際、まずは正規でオーバーホールしようと考え、AP銀座ブティック(まだウナギの寝床のような細長い店舗だった時代)の門を叩いた。しかし修理に際して新型機械(2125)への交換が必要になる可能性が高い、という返事であったことからAPをあきらめ、信頼のおける時計師によってオーバーホールを実施してもらい、すっかり気に入って普段使いしてきた。それ以降5年程度経過したため最近もう一度オーバーホールしてもらったところ、お陰様で機械は至極調子が良いものの、世に出て四十年以上経過しているこの時計のガスケット類がそろそろ限界を迎えているとの話も聞き、なかなか普段使い出来ない状況になってきたのが今である。

ここで話は入手時に戻る。そもそもこの時計を入手した最大の理由は、キャリバー2123が入っているから、である。今もJLCのメインキャリバーとなっている889(後継は899)が誕生したのは4100STが世に出たからだ。前にも書いた気がするが、5402よりもう少し小さい時計を日本市場向けに作れないか、APに日本デスコが望んだ結果、JLCからの回答が900ベースの2123であった。すなわち889の始祖である2123を積んだ4100STという存在は、特にAP=JLC間の歴史的な意味があると思っている。

そんな4100STのオリジナリティを維持しつつこれまで同様に愛用していきたいと考えるのは、この時計を所有し、愛でるオーナーとして当然だ。ただしガスケット類は二次マーケットでの入手が難しいためAPにお願いするしかない。ここでもう一度、無理を承知でAPにお願いしてみることにした。条件は、機械はオーバーホールしてあり至極調子がいいのでいじらないこと、ガスケット類の交換のみをお願いしたいこと、防水性の保証などは一切求めないこと、である。加えて、竜頭が新しいもの(AP刻印付き)に強制交換となることは知っていたため、事前に海外オークションでこれのNOS竜頭を入手した(奇跡的!)。これで交換されてしまってもオリジナリティは担保されるため、お願いしてみる下地はできたと判断したのだ。しかしながら、持ち込み一週間後に木で鼻をくくったような同じ回答を再度受け取ることとなる。すなわち、「社外にて作業がされている時計に対して、パッキン交換のみなどの限定修理は致しかねる。新型ムーブメントへの交換見積もり費用は〇〇万円、針も強制交換」である。

Alas! まあそんなところだろう。AP日本は本社の意向を聞くしかないのだが、その本国APの方針はこの通りだ。これを受けて2125をセカンドマーケットで入手して、換装して送ることまで脳裏をよぎったが、そこまでする必要があるのかと考えてアホらしくなった。自前で何とかするしかない(当てがないことはない)と決心したのが今現在である。

まあ感じ方は人それぞれだろう。古い機械を新しい(より信頼性のある)ものに取り替えてくれるんだからなぜそうしないのか理解に苦しむ、という人もいるだろう。しかし私は、APによる純正修理で強制的に2125に変更されるというのは、むしろこの歴史的アーカイブへの冒涜であると感じるのだ。それ以前に調子よく動いている機械を交換する理由も全く理解できない(交換されたら却ってこないことも自明である)。でもAPはこのようなネオビンテージ時計に対しても、まるで新品にするかのような、新品に近い時計と同じようなメンテナンスを志向する。

このスタンスは、アーカイブ部門を創設しマイケルフリードマンを雇い、過去の魅力的な製品を発掘し、それらの価値を保存し、あるいは高めていく方向性とは矛盾しないか。APがかつて出版した「Royal Oak」という豪華本には、4100STのダイヤインデックスの個体の写真が大きく載っており、スペックには当然「Cal.2123」と書いてある。オリジナルスペックはまさにこの通りだ。

ビンテージウォッチ愛好家はほぼ例外なく、極力オリジナルの姿を保ちたいと思っているし、メーカーもオリジナリティを重視しつつ、快適に使えるように維持管理してくれる方向性を志向してほしいと思っている。一方でこのAPは何なのか。APはこの時計を使い続けてほしいと思っているのか。APはこのネオビンテージ時計の価値をどう思っているのか。私の中での答えは定まった。今現在3本所有するAPの時計に罪はなく、APの時計は大好きであるが、今の会社の態度は好き嫌いで言えば間違いなく後者である。それはとても悲しいことだが。

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2019年10月 9日 (水)

呪縛から逃れるシリーズ(2)エボーシュ

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 歴史的側面から書いてみたい。まず1600年代頃に一般的であったバージの懐中は、姿勢差や温度変化にも弱く精度の面ではレバー脱進器以降と比較にならないものであった。この時代の懐中は文字盤から何から本当に手作りで、今のプロダクトのレベルからすると手作り感がありすぎの一品もので、いわば機能性装飾品と言える。シリンダー、デテント、アンクル脱進器になってくると計時機能そのものを実現する携帯ガジェットに進化し、1800年頃以降、ムーブメント、文字盤、針、ケースなど構成部品製造はほぼ完全に専業メーカーに分業されていく。餅は餅屋の世界である。

 数百年分を恐ろしく端折って書くが、大航海時代は経度の認知に必要なマリンクロノメーターが実用化、発展し懐中サイズになり、英国・フランスから製造主体がスイス、アメリカに移ると、鉄道の発展とともにレイルロードグレードというものができ、1900年頃までは欧州とアメリカで時計産業が活発になっている。特にアメリカの時計産業が発展したのは、同じ形式のムーブメントでも個体ごとに作っていたため例えば一つのブリッジが他の同形式ムーブメントにはジャストで合わないという製造方法から、個体によるパーツの互換性が確保されたことが大きい(修理が容易)。アメリカでもパーツは基本的に専業メーカー、すなわちサプライヤー製である。出来上がった製品はウォルサムでも、それぞれパーツは専業メーカーが作っている。顧客はムーブメントのサイズとグレードを選び、デニソン製等のケースのグレードや形式を選び(金・銀・金張り、ハンター、ハーフハンター、オープンフェイスなど)・・・そして出来上がった時計が納品となる。パーツの中の重要なものとしてムーブメントがあり、アメリカ懐中産業が死にゆくなかでスイスは腕時計産業として生き残るが、ここでもパーツ専業メーカーが狭い地域(ジュウ渓谷など)に集まった環境から、完成品としての腕時計を市場に送り出すという形式が続いていたわけだ。この時代は19301950年代の機械式時計黄金時代を含む。

 ここでやっとムーブメントの話。この頃は多くのムーブメントメーカー(エボーシュメーカー)が存在し、多種多様なムーブメントを時計製造業界に供出していた。時計メーカーは機械を含めサプライヤーが作ったパーツを組み合わせて製品として世に出す。極論すれば時計ブランドは、全体設計およびアッセンブリー・調整・仕上げ屋だったわけである。パーツに関していえばサプライヤー、すなわち餅は餅屋のほうがクオリティは高いし安いはずだ。ただし全体のパッケージとクオリティを決めるのは時計ブランド側だ。これこそが時計メーカーの意義であった。

 ところが1990年代以降の機械式時計産業復興時点では、数多あったエボーシュメーカーはクオーツの荒波を乗り越えることができずに極端に減少し、エボーシュ連合としてSMH(SSIH)グループ(現スウォッチグループ)内にETA/ Peseux/ Valjoux/ Unitas/ Lemania等のみが存在する状態となり、市場に供給できる機械の形式は極めて少なくなってしまった。その結果、市場に存在する機械式時計の多くが28922824、という世界になったわけだ。この構造が市場にバレ始めると、高級ブランドを目指すメーカーはムーブメントを自社開発し、「マニュファクチュール」を標榜することで差別性・独自性を誇示することとなった。ムーブメントばかりでなく、QCの意義もあり各種サプライヤーを時計ブランドまたはそのブランドが所属するコングロマリットが買いあさり、多くの有名時計ブランドはパーツを自社またはグループ内で調達可能な垂直統合方式が主流となった。極めて乱暴に言えば、これが現代の時計産業メジャーの姿である。

 まとめると、特にムーブメントを自社開発する必要に駆られたのは実は90年代以降、事実上はETA2010年問題も絡むここ十数年の話であり、クオーツが席巻する以前はエボーシュメーカーが供給するエボーシュをもとにほぼ全ての時計が作られていた。断わっておくがJLCもエボーシュメーカーの一つである。

 ここで大多数が気付くことは、自社開発機械かエボーシュの採用かは、昔は意味がなかったということであろう。またJLCUnitasLemaniaCortebertEnicar等多くのエボーシュメーカーも外装パーツを買ってきて、自社ブランド銘の時計を世に出していた。機械は文字通り心臓部だから、エボーシュメーカーが時計ブランドになりやすいという構造はもちろんあった。

 しかし考えてみれば機械式時計黄金時代の名作と言われた時計は、優れたパッケージと高いクオリティを持つパーツの採用による絶妙なバランスを持ち、かつ優れた組み立て・調整・仕上げがなされたものであり、機械がどこで作られたかはあまり関係ない。これを現代に当てはめると、エボーシュの採用を卑下する態度は、そもそも認識不足だと考える。これではAPVacheronの名作群も卑下されることになる。Patek130や初期96などどうするのか。

 昔から時計メーカーは、パッケージを設計してアッセンブルしていた。どの機械を使ってどのように仕上げるかは勿論時計メーカーの裁量であった。目的のものを作り上げるために、今世にある何を使ってどうするのか、ここで取りうる手段としては、新たに一から作るよりも信頼性もある現物を加工して仕上げるのは最良の答えであろう。ただし、機械の選択肢が豊富にあった時代と、その選択肢が狭まった現代という違いはある。

 しかし状況は「マニュファクチュール至上主義」時代、すなわち2000年代から更に先に進んでいる。設計手法や試作手法、工作機械や材料など機械製造業を取り巻く環境も大きく変わってきており、優れたクオリティの各パーツサプライヤー・エボーシュメーカーが業界内外に増えつつある。

 こうした状況を踏まえると、昔の時計ブランドのように純粋に設計し、パッケージングを整えてアッセンブルする時計ブランドがエボーシュを採用することは何ら卑下されるものではない。より重要なのは設計すなわちパッケージングと、高度な組み立て調整や仕上げであると思う。

 ETAポンなどと言って卑下していた時代は、もう昔のことだ。我々時計を趣味とするギークは、あまたの時計ブランドが構築してきたマニュファクチュールというポエムから脱出し、本当に良い時計とは何か、いま一度考え直すステージに到達する必要があるのではないか。(そのころにはETAの凄さも認識していることだろう。)

 今思うことは、時計のもっとも重要な軸はパッケージである、ということだ。これに尽きる。そのパッケージを作り出すために必要なパーツが現世に無いのであれば、機械も文字盤も針もケースも一から作る、あるいは作ってもらうしかない。ただそれだけのことである。

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2019年9月16日 (月)

呪縛から逃れるシリース(1)グラスバックとソリッドバック

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グラスバックとソリッドバック比較

  メリット デメリット
グラスバック
  • 機械を見たいときに見られる。

  • 裏蓋が1mm程度厚くなり、時計全体の重心が手首から浮き、座りが悪くなる。
  • 装着感確保のため、ラグ周りなどデザインの自由度がソリッドバックよりも制限される。
  • 紫外線等により油の劣化が早まる。
  • 汗で腕に張り付く。
  • ガラス面は耐磁性能がない。
ソリッドバック
  • 裏蓋が薄くなり、手首への座りが良くなる。
  • デザインの自由度が増す。
  • 機械に光が届かないため油の劣化がグラスバックより遅い。
  • 特に汗をかいた際、装着感はグラスバックより優れる。

  • 機械は想像して楽しむもの。

機械式時計業界に一石を投じるシリーズを、唐突に始めることにする。最初はグラスバックとソリッドバック。

上記の通りメリデメは全て裏腹である。
そしていつも機械を見られること以外、ソリッドバックの方が良いことづくめである。

クオーツウォッチが世界を席巻したのちの機械式時計復権に、グラスバックは差別化を図る目的を十分に果たしたと言えるが、使う上でのデメリットは無視できない。なお最高の実用時計であるロレックスもソリッドバックが基本である。

そもそもグラスバックを前提に設計してる現代の時計は、ソリッドバックしかなかった時代の時計よりも一般的に1mm程度は裏蓋が分厚い。そのためソリッドバック時代に近い許容できる装着感を今設計しているグラスバック時計にもたらすために、下がったラグや長いラグのデザインの時計が多くなる。あるいはラグが極端に下がったように見えないよう、シリンダー状のケースを採用するなどケースバックではなくケースサイドを厚くする。更にはバネ棒の穴の位置でも微調整している。要はいろいろと工夫して、裏側の厚さをカバーしようとデザインされている。

一方で、狙ったデザインがソリッドバック時代の雰囲気であるならば、グラスバックを採用することでその雰囲気は自ずと異なっており、デザイン上で苦心することになり、実際にそのようなものを多く感じる。

ロイヤルオークなどソリッドバックとして世に出たものを、後世に無理やりグラスバックにすると、デザイン上であれこれ微調整せざるを得ないのは自明である。例えば5402と15202では、ブレスの厚さやラグ周りなど、オリジナルとは全く別物である。結果時計全体が厚くなり、オリジナルが持っていた全体的な薄さや軽さとはまるで異なる雰囲気になっている。もちろんどちらが良いと感じるかは主観であるが、ジェンタ翁の作りたかったものは疑いなく5402であろう。

機械式であることの自己主張。中身を見せることでクオーツと差別化してきた高級機械式時計業界であるが、今はまさにその呪縛に囚われている状況とも感じられる。逆に全く呪縛に囚われていないのはロレックスくらいであろう。これは完全なる私見であるが、見て楽しめる仕上げを持つ機械を積むのは、デュフォーさんの時計などごく一部の独立系とダトグラフくらいであろう。 

ここで本来の「時計」とはどうあるべきか考えてみると、もう答えは出ていると思う。さあ皆様も #日本ソリッドバック党へ。ようこそ。

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2019年7月18日 (木)

「おいしい、まずい」と「よい、悪い」

軽めのエントリだが意味深いと思っている。

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ツイッターをフォローしていただいているレアな方々におかれては、最近私が珈琲にどハマりしているのをご認識かもしれない。
「コーヒーの科学」(旦部幸博著)という名著があるのだが、そのなかでカフェバッハの田口護氏が、30年も前に提唱したという定義がある。これに非常に共感したとともに、これは指向性をもつ多くの趣味に共通する内容だと思ったので、ここに記す次第である(以下一部まるっと引用)。

(1)コーヒーの風味に対する「おいしい、まずい」という主観的な暗好と、品質に対する「よい、悪い」という客観的評価を混同してはならない。
(2)コーヒーのプロは自分自身の晴好よりも「よい、悪い」という客観的評価の視点をまず優先すべきで、「おいしい、まずい」はそれ以降の問題となる。
(3)「よいコーヒー」は「欠点豆を除いた良質な生豆を適正に培煎し、新鮮なうちに正しく抽出されたコーヒー」と定義できるが、「おいしいコーヒー」は人それぞれで定義できない。
(4)「よいコーヒー」であっても、実際に飲む人の階好によっては必ずしも「おいしいコーヒー」になるとは限らないが、「悪いコーヒー」は必ず「まずいコーヒー」になる。

素晴らしく明快である。もちろん当ブログのエントリとした意図は、これがそっくりそのまま時計にも当てはまると考えたからだ。

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2019年5月14日 (火)

Patek Philippe Golden Ellipse

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「ただのオッサン時計」と永らく思っていた。おそらくこれを読んでいる大多数の皆様もそう思っているはずだ。その存在は知ってはいるものの、何の興味も抱かれない時計。そしてその通り、これは紛うことなきオッサン時計であり、年齢でいえば50代、いや60代以上の紳士しか似つかわしくないと思う。
しかし、ただのオッサン時計として切り捨てていては勿体ない。なぜなら名作の一つとして語られるべきだろうと今は思っているからだ。

確かにこの時計に注目してきた時計マニアは稀な筈で、それなりに名のある他の時計のような研究や詳細な文書などもWeb上では殆ど見かけない。この時計を購入し使ってきた層はおそらく、時計マニア目線をあまり持たないリアル富裕層という印象を持っており、そんな彼らが何かを書いたり残したりするとは考えにくいのである。
そこで今回この時計の系譜について調べ、書き散らすことについては、前例が殆ど無くチャレンジングではあるが少しは意味もあるのではと思い、果敢にもトライしてみるのだ。ただし、仮に出来たとしても、それに対する需要が圧倒的に少ないのは承知のうえである。

Golden Ellipseとはすなわち、黄金率をもつ楕円形の時計という意味である。ケースサイズは32×27mmと、現代では小さな時計だ。あれっこのケースの縦横比は全く黄金比ではないぞ。長短針はそんな感じにも見えるが。文字盤の縦横比でもない。黄金比率を用いたデザインと公式でも言っているものの、どこにどう用いられているのかは具体的には触れられていない。ただし50周年の年次表のバックにヒントは載っている〜極めて精緻に設計されていることが読み取れるだろう。シンプルの極みのデザインである。

ケースの薄さは6mmと極薄であり、ラグありモデルもあるが、ラグ無しの楕円ケースの上下裏側からストラップが生えるこの形が標準的である。そのためストラップ端とケースバックの面がほぼツライチで、かつ薄いため、装着感はもう羽根のように軽く最高の部類である。シャツのカフには何の引っ掛かりもなくスルリと収まる。

バックルは、ケースと完全な対をなす楕円形状である。尾錠幅は14mmだが時計本体が小さいため、一般的な時計本体とバックルの大きさの比と異なり、バックルがずいぶんと大きく感じる。そしてこの形状なためストラップに定革は無く遊革のみとなり、また剣先はボートでも角でもなく丸型で、時計側は小さい切込みが入る特殊な形状となっている。バックルも勿論WG製で、楕円を基調としたトータルで纏まりのあるデザインだ。風防は最近のエントリに書いた通りフラットなものであり、ストラップに繋がる形状が特殊だという点以外は何の変哲もない楕円ケースである。などといつもの調子でパーツに話が及んできたが、この時計はやはり時代背景を考慮しつつそのパッケージを語りたい。

Golden Ellipseが誕生したのは1968年のクオーツ前夜、60年代後半から70年代は薄型2針のドレスウォッチが多く登場しており、それはPPのみならずVCAPでも例外ではない。自動巻きの薄型機械と言えばJLC920であるが、登場は1969年でありこの時点では現存しておらず、ドレスウォッチがまだ小さめのこの時期、2針ドレスとして新登場したリファレンス3548は銘機23-300を心臓部に据えていた。当時のPPが使える選択肢としては、この機械しかないわけである。なお28-255入りの通称ジャンボエリプス(Ref.3759)ものちに登場する。

この時計によく似た時計はAPなどでも確認され、薄型2針は明らかにこの頃のトレンドであった。またラグ無しでケースに直接ゴールドブレスレットがついている時計は6070年代に良く見られる意匠であり、もちろんエリプスにも展開されていた。ケース形状はこの縦型のものが最もポピュラーではあるものの、横長のモデルや角丸の四角、縦に長い六角モデルなども存在し、ケースが異なる派生モデルも多種存在する。珍品は何と言ってもノーチラスの耳が付いたノーチエリプス(おそらくクオーツのみ)であろう。いずれも小さめの薄いケース、薄手のストラップまたはブレスを持つ手巻きである。

3548は登場から約5年後、23-300から215に機械が変わってリファレンスも3748となり、それが本モデルである。機械は変わったものの外装の変化はごくわずかであり、完全にキープコンセプトであった。その後3848にリファレンスは変化するが、外装上の違いはほぼ見られない。大きな変更があったのは1977年、ついに自動巻きとなり、ケースサイズもここで初めてボリュームアップされた。しかしプロポーションは不変であり、ソリッドバックの薄型2針でここも完全なるキープコンセプトである。この時点で針の先端は尖らせず、インデックスと合わせて角形に切られるようになっている。このリファレンス37382000年代まで生き残るがついに2008年、5738となってもう一回り大きくなる。しかしそれでもキープコンセプト、この頑なな姿勢は、近年のパテック社ではあまり見られなくなったものである。(ただし5738YG/青文字盤は姿を消しており、青文字盤はPTのみ)
なぜ頑ななのか。それは、最初のゴールデンエリプスがあまりにシンプルかつ完成され過ぎていて、逆に何もできなかったということが理由なのではないか。すなわち、これこそがパッケージングの勝利なのだ。ここが本稿で最も言いたかったことである。

何年経っても変えようがないプロポーション、変えようがない時計。色や材質すら殆ど変わっておらずコンセプトを継続している、いやせざるを得ない時計が、ゴールデンエリプスなのである。

肥大化した96である現行の5196は、明らかに針のクオリティなどが3796時代よりも落ちたままであるが、エリプスに於いては、凡そ全てのパーツのクオリティが、1968年のモデルからほぼ落ちずにキープされてきた。こんな時計はPP社の中でおそらくエリプスのみであろう。実際に2010年頃のパテックの時計の中で、最もパーツのクオリティが高くキープされ、バランスがとれていたリファレンスは3738/100であったと思う。シンプルすぎて完成されていたため、それを再生産せざるを得ないほどの時計はなかなか無い。稀有な時計であることは間違いなく、冒頭に書いたように「名作」だと思うに至った理由はそんなところにある。

この時計はデザイン及びパッケージが凡そ全てなのであるが、一応各パーツについても述べておく。ケースはWGでベゼル以外はサテン仕上げ部分が多い。仕上げは手馴れており勿論クオリティも極めて高いものだ。ダイヤルはハイライトの一つで、パテックブルー(アーカイブはサンバーストコバルトブルーと表記)と呼ばれている。文字盤下部のσ表記はゴールド文字盤の証であり、コバルトを用いてブルーが得られたと言われているが詳細はWeb上では確認することは出来ず、おそらくPatek社内に留まっているものと想像される。顔料の一種であるアルミン酸コバルトを用いるのか、ガラスに解けだすコバルトガラスを用いたのかは定かではないが、この深みのあるブルーこそがエリプスの大きな魅力であることは疑いが無い。

繊細なインデックスはWG製であり、それぞれ2本の足でしっかりとダイヤルに固定されている。表面・側面は鏡面に磨かれており、正確に取り付けられている。アプライドインデックスは、12本の表面が全てツライチに設置されていることが重要であり、その点も完璧で工作精度および組立の正確さがよく伝わってくる。また特徴的な形状のケースの、見返し部分と文字盤のチリも完璧である。ケースの厚さによく合った小さな竜頭はカラトラバ十字入りのもの。毎日巻くような大きさではなく、フォーマルなシーンでその時だけ巻いて簡単に時間を合わせて使う、そんな使い方が似合うと思う。そのためにはミニッツインデックスもない2針が相応しいのである。さてその針。時分針ともごく細いバーハンドで、先端は僅かに尖っている。袴と針をよく見ると往年のパテッククオリティそのもので極めて立体的。全てのパーツはシンプルであるが、そのクオリティおよび立てつけが完璧なため、全くスキが無く、高級時計そのもののたたずまいだ。

これを読んでいたら、だんだん欲しくなるとまでは行かなくても、少なくとも手に取って見てみたいと思うようになってくれたのではないか。でも実物見ても反応が極めて薄いのは良くわかっているので、まあ好きな人が楽しめばいいのである。あ、時計とはそもそもそんなものか。

市場に70年代のタマが多いのは事実で、この頃特に人気が高く、良く売れたのは事実と思う。70年代の終わりには65種類以上もラインアップされていたと、50周年のプレスにある。懐中時計やカフリンクスなど周辺展開も余念がなく、Ellipse dOrは確かに存在感があったと思う。時代に合わせて最もスタンダードな2針は大きくなっていくものの、それ以降も継続的に製品はリリースされており、”カラトラバの次に長い歴史を誇るシリーズ”は伊達ではない。(3,4年でシリースに見切りをつけるどこかのブランドとは全く違う。それこそがパテックの真髄であろう。)

最後にリファレンス表を載せる。例によって大変調べるのに難儀した(しかも需要もないが、これだけのものは他にないと自負する)。

この表を作るために暫くGolden Ellipseの画像を大量かつ、つぶさに見続けたのであるが、50年分もあるので主だったもののリファレンスしか頭には入っていない。しかし37483848を表の画像だけで見分けることが出来るようになったのは、大したものなのでは、と我ながら思う。そして今、このデザインを生み出した設計者は天才に違いないと確信するに至った。これは工業製品にありながら芸術の域だ。

Golden Ellipse References Ver.2.5

ダウンロード - gents.pdf

ダウンロード - ladies.pdf

ダウンロード - non_oval.pdf

見やすい方法がないか試行錯誤しましたが、結局DL方式にしました。

 

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2019年4月27日 (土)

単結晶サファイヤの話

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時計用風防がプラスティックから単結晶サファイヤに置き換わり始めたのは、凡そ1970年頃からである。当時のサファイヤガラスは、分厚い単結晶に育てるためには時間と大きな設備が必要であり、現実的な製品として、最初に時計用の風防に用いられたものは薄くフラットなものであった。一方で、この時期は腕時計業界にとってどのような時期かというと、

・クオーツ腕時計が出現したのち急速にコストダウンが進み、大量生産が出来るようになった
・機械式腕時計にとっては大きな打撃となり、製造数が大きく落ち込んでいく
・特に高級な腕時計は薄型化が進んだ

薄型化の流れの中で、単結晶サファイヤは薄くても強度があるため、高級腕時計にこぞって風防として採用され始めた。しかしまだ単価が高く、高級なものにしか採用できなかったとも言えるだろう。この時期に世に出た代表的な薄型腕時計として、ロイヤルオークやゴールデンイリプスなどがあり、それらは設計時から、いずれもサファイヤガラスの採用を前提としていると思われる。すなわち厚さが6~7mmクラスの薄くフラットな時計である。

薄型イコール高級、しかも風防はフラット。この条件を前提としてデザインされた高級時計にとっては、フラットな中にどうやって高級感や立体感を出していくかが課題であり、高度な次元で課題を解決されたものが今も名品として残っているのは、衆目の一致するところであろう。

なお1990年代以降、EFG法の発明・発展によって、時計用の分厚いサファイヤガラスが現実のものになっていく。国内サプライヤーとしては主にセイコーに供給している二光光学などがある。そして2010年代後半に入ってから、ようやくボックス形状のサファイヤクリスタルが一般的になってきた。これは2010年前後から始まった復刻時計ブームと微妙にリンクしており、オリジナルではプラスティック風防だったものが復刻版でサファイヤに置き換わることがようやく出来てきている。特にここ2~3年で一気に採用が進んだ裏には、顧客ニーズに対応する柔軟性向上と納期の早期化、均質化、低価格化などの波が確実にあり、技術上のブレイクスルーがあったのかもしれない。

風防という時計の単なる一つのパーツだけ取ってみても、工業的な時代背景と密接に結びついており、それらは時計を考察するバックボーンとして重要な情報である。

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2019年4月12日 (金)

APのCODE 11.59

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APCODE11.59を見てきた。写真では伝わりづらいと多くの人々が言っているが、ほぼ写真で見た通りであまり新鮮な驚きというものは無かったのが正直なところ。特に確認したかった、二つの変数を持つ面構成の風防の印象はほぼ写真から想像した通りであった。斜で見たガラスの「グルグル」は、ド近眼の私のメガネのようでもあり、かつ「表と裏の曲率のあっていない古のサファイヤ」の歪みを彷彿とさせ、どうしても私にとっては安っぽく見えてしまった。狙ってやったかのような解説ではあったものの、私にはマイナスポイントに映った。むしろ「クリスタルはその複雑な面形状に完全に追随した一定の厚さを備えているため、斜で見ても一切歪みが無い」ほうが、よほど高級感を醸し出したのではないだろうか。

針は古のAPの一つの型と言えるバトン。ただしアワーとミニッツの太さまで変えたのは古に範をとらないディテールと言えるが、もう少し差を分かりにくくした方が好み。インデックスの数字も、ある年代のAPに見られるフォントであり違和感はないが、私はあまり好きなタイプではない。

何重にも重ねて塗ったラッカーを研ぎだしてあるダイヤル面は非常に平滑(見たのは黒と濃紺)で、とろけるような質感を出しており楽しめるポイントだ。ただその厚さが災いしてデイト窓が深く感じ、かつファセットや枠もつけていないため、デイトリングの黒の梨地と超平滑なダイヤル面との対比が思った以上に印象に残ってしまい、私は残念な点だと感じた。これはデイトを単純に無くしてしまえば良いだけだと思う。デイト機能を付加したい気持ちは分かるが、ならばいっそ白地にしてしまっても良かったのではないか。

ケース形状はこれまで前例がないほど複雑である。それがどのような効果を生み出していると感じるかは人それぞれの感性によることは当然であるが、肉抜きされたラグの存在が目立ち、サンドイッチされたミドルケースのロイヤルオークオマージュが目立ちにくい。プロジェクションマッピングでも執拗に丸と八角形が強調され洗脳してくるが、それを知らない限りあまり気づけないだろう。とはいえ形状は正確でエッジも立たせるところは綺麗に立っており、稜線の安定感など相当なもので、サテンが多い仕上げも綺麗かつ丁寧だ。ケースは流石の出来であり、この形状のケースをこのクオリティで量産できるということは、素直に凄いことだと思う。切削機を含めた製造プロセスの進歩は物凄い。なおCODE11.59はシリーズ全てで、生産数は年間2,000個までと決めているようだ。今や年産36千個とも言われるAPのなかでは小さな集団と言える。しかし製造本数随分増えたな。

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さて中身について。3120に比べ二回りも大きくなった機械はみっちりと入っていてサイズ比は好印象であるが、8振動化したことで何故かAPとしてのこだわりを捨て去ってしまったかのようにも感じたのがまず最初のポイント。それと今更方式にこだわる時代ではないと思うものの、個人的に高級機はやはりスイッチングロッカーだという固定概念もあり、リバーサーとなった結果より広い面積となったムーブメント全体に対して機械として機構が色々と詰まったようなミッチリ感は無く、見た目的にも少々寂しいムーブメントと感じた。ひょっとするとルノー・エ・パピにとって浜口氏を失ったことは、思った以上に打撃だったのかもしれない。なお機械の仕上げはAPとして並である。勿論凡百のメーカーよりは当然良いが、おそらく最初期ロット故の不安定感(べベル部分の均一性とか)を感じた。おそらくこれは今後向上してくるであろうし、初期またはプロト特有の問題だろう。ただ完全に個人の趣味だがこの機械を見せるくらいなら、ソリッドバックがベターだな。(また言ってる)

マーケティングは相変わらず派手で、それ自体は六本木でパーティーをやっていた10年前と何ら変わることが無いスタンスである。顧客として明らかにそれ系を狙っているのだがその方針は、遠いルブラッシュの熟練職人に想いを馳せ、古いAPも愛でてきた層にはリーチしにくいだろう。メゾンのアーカイブを大事にする姿勢はマイケル・フリードマン(そういや彼に以前会った時、Y師は彼の靴を褒めていたな)を社員にしてしまったことなどからも十分に伝わることなども踏まえると、顧客としてはもうあらゆる方面に触手を伸ばしているような印象であり、そんなところは今も一昔前もあまり変わらず、むしろAPらしいなと思った。

因みにクロノも弄ったところ、ボタンの操作感は現代の時計として平均的。30m防水ながらOリングの存在を感じるやや重めのもの。リセット時のクロノ針のブレは皆無、クロノ針のマスやバランス(細さとデザイン)をよく検討していると思われ老舗としての手堅さを感じた。なおクロノの機械のほうが当然凝縮感があり、ブリッジの形状やコラムホイールの見せ方が非常に現代的。一度でも1185を使ったことのあるメゾンは、自社で内製したクロノムーブメントと言うもののF.ピゲの影響を色濃く感じるねえ。

最後に。CODE11.59は事前のティーザーから絨毯爆撃のように宣伝しまくったので、もし今これをしていたら時計痛もとい時計通の間では「おっ」となると思うけど、なんとなく一発受けに300は厳しいなあと。あと今回は事前のリーク騒動がごく一部で話題だが、まあ新製品のリークで話題になる新型iPhoneのようなものと捉えれば、話題も関心もさらったという点では十分な宣伝効果を得たのではないかな。

ということで、私は買わない(買えない)というだけで特に結論はありません。このあとどう育つのか興味はあります。

 

 

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2019年4月 7日 (日)

コレクションの持続性の話

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またいつものJLC批判である。つまらん記事とは思うがどうしても書きたくなったのであえてアップする。

クロノス82号の記事は多くの特集で読み応えがあり、そのなかで特に共感したのがBovetP.ラフィさんの言葉である。

「私たちがコレクションに盛り込みたいのは、耐久性が高いこと、視認性の高いロジカルなデザインを持つこと、そしてロジカルな機能と、コレクションとしての持続性を持つことです。コレクションは継続しなければならない。それが顧客の信頼と忠誠を得ることになります。」

ああ、この人は作り手の立場でありながら顧客の、いちマニア心を本当に理解しているなと感じた。心配なのは、コレクションのラインを増やしたかと思うと、売れずに消滅させるJLCにその言葉を真に理解する日が来るかどうか、ということである。

コレクションの一貫性や継続性は本当に大事だ。JLCでもマスターやレベルソは、(その過程では紆余曲折あるものの)ある程度一貫性は保っている。しかし過去のイデアルやAMVOXは消滅したし、レベルソの中でもスクアドラはあっさりと消滅した。最近の自動巻ラインも怪しい。IWCも一貫性という観点からは、例えばダ・ヴィンチのラインなどデザインの継続性を一切無視して新シリーズ化したりするし、GSTの系譜もよくわからない感じでアクアタイマーに収斂している気がする。インヂュニアもデザインを過去何度か一気に切り替え、しかも継続性がないなど、各コレクションの持続性は怪しいと思う。

ラフィさんの言葉は、ボヴェの製品を買い、愛でるために大きな安心感を与える。これは買い手の立場に立って物事を考えてみれば容易に想像がつくことだ。

残念な具体例をあげよう。今シーズンで一番衝撃を受けたのは、JLCがジオフィジックのシリーズを早くも捨て去ったことだ。この製品を購入した人はどう思うのか。限定と謳っていたモデルならともかく、スタンダードモデル全てのディスコンであり、後継が全く出ないのである。それは野心を持って売り出したものの、期待したセールスをあげられない不人気なモデルということを会社として認めたということに他ならない。購入者の気持ちを全く考えていないと思われるのだ。(決めたのは同じ82号にインタビューがあったこのCEOなのか。)

それどころか、ジオフィジックというレジェンダリーな名称を使い捨てにしてしまったメーカーの考えの浅はかさには信じられない思いだ。私がとりわけこの名前に執着しているだけかもしれないが、今後JLCがもしこの名前を使いたくなったとしたら、今回の黒歴史を自ら「なかったこと」にするのか、それとも「一定程度の成功を収めたものの、惜しまれつつディスコンにした」などと話を嘘っぽく美化する必要があるはずである。伝説や伝統を極めて重んじ、そしてそれらを宣材に使うのが常套手段のこの業界のなかで、自ら首を絞めることになるのではないか。なお予言しておくと、このままではポラリスも危ない。

もう一度ラフィさんの言葉に戻る。「コレクションは継続しなければならない。それが顧客の信頼と忠誠を得ることになります」この逆を平気でやってしまうのが今の「伝統的なスイス高級メゾン」である。

気がつけばJLCIWCもリシュモングループで、CEOは両方ともいわば雇われ社長だ。求められるのは売り上げの拡大、それはわかる。しかし売り上げが伸びないので伝説を使い捨てにしてもいいという権限を持っているとすれば、その権限を持たせてしまったリシュモントップのジェロームも批判の対象とするべきなのか。一方同じコングロマリットでもランゲは違う。継続性と持続性に長けており、どのモデルを買おうにもほぼ不安がない。究極はロレックスである。おなじペットネームをもつ、より改良された時計を出し続ける。まるでポルシェみたいだ。だから安心して買えるし、いつの時代に買ったものでも価値がある。今の市場の評価も納得であろう。

ブランド戦略には各メゾンで大きな違いがあり、それらは永い目で見れば結果として大きな差が出てくることは間違いない。改良し刷新するべきところはする、しかし伝統的にタッチーなことは慎重に進める必要があるのだなあと、改めて思ったのである。ボヴェは一貫していいものを作ってきている。それにはやはり、このトップの存在が大きいと思う。

 

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